練習で監督から指導を受ける国東の部員たち=大分県国東市国東町
「さあ諸君、準備はいいか、気合入ってるか――」
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試合開始前、国東(大分)の選手たちの円陣から声が響く。名物とも言えるかけ声は、気持ちを高めていくための「サイキングアップ」というメンタルトレーニングから採り入れた。
国東は2008年、旧国東と国東農工、双国が統合して新たに開校。中山輝さん(51)=現大分南監督=はその年、国東に赴任し、野球部監督に就任した。
前任の重光孝政さんは、同い年で高校の時からの知り合い。お互い教員になってからも交流が続いていた。その重光さんの指導の一つにかけ声があった。試合前に選手たちの気持ちを奮い立たせるためだったが、当時は「俺はできる」というだけのシンプルなもの。中山さんもそれを引き継いだ。
国東の野球を育ててきたのは重光さんという思いもあり、中山さんは「いつかまた国東に戻ってこいよ」などと話していた。だが11年夏、重光さんは交通事故に遭い、帰らぬ人となる。
「重光が作り出したものを、後世にも残したい」
中山さんはそう考えるようになった。そのころ、引っ込み思案が多かった部員たちを鼓舞するため、メンタルトレーニングのトレーナーを招いたことがあった。指導の中に「試合に入る準備のため、決めポーズや決め言葉をつくろう」というものがあった。
それは、重光さんが残したかけ声を、さらに発展させるきっかけとなった。部員たちは気持ちを高めるための言葉を次々と考えた。
「絶好調」「スーパーラッキー」……。もちろん「俺はできる」も残った。言葉は少しずつ加えられ、今では全て言い終わるまでに30秒ほどかかる。中山さんが異動で国東を離れた後も、かけ声は受け継がれている。
代々、かけ声の音頭を取るのはムードメーカーの選手の役割。いま、それを担うのは主将の丸小野快人君(3年)だ。元々はそういうキャラクターではなかった。それでも「チームの中心の自分が引っ張れば、チーム全体も盛りあがるだろう」と買って出た。
いまの3年生は積極的に声を出す学年ではなく、「静かな学年」とも言われた。だが主将が中心で声を出すと、それにつられて他の部員たちも積極的に声を出すようになってきた。
昨年秋の九州大会県予選では1回戦で敗れたチームも、今年春の同県予選ではベスト4。丸小野君は「みんなの声が出ていたから。声が出ているとよく動けるようになるんです」と、かけ声で培われた積極性の効果を強調する。
大分大会開幕が迫る中、「まだ、もっと声を出していきたい」と丸小野君は意気込む。それが選手たちの「俺はできる」という自信につながると信じている。(小林圭)
国東のかけ声
さあ諸君、準備はいいか、気合入ってるか、盛り上がってるか、勝つ気はあるのか、せーの(手を3回たたく)
絶好調、絶好調、絶好調、絶好調(※)
スーパーラッキー、スーパーラッキー、スーパーラッキー、スーパーラッキー(※)
日本一、日本一、日本一、日本一(※)
ついてる、ついてる、ついてる、ついてる(※)
(主将の意気込み)
俺はできるー(※)
よーし(人さし指を立てる)
(※)は選手が復唱。