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元プロの監督就任、休部した主将 避けていた最中に一言

部員が少なかったのが、増えた高校がある。


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「今のはファーストいける」「いや、いけない」。飛んできたボールをめぐって、一塁手と二塁手で話が始まった。太良(佐賀県太良町)のケースノック中の出来事だ。


ケースノックとは、走者を置いた状況でのノックのこと。永尾泰憲監督(69)によると、走者がいないシートノックより実戦に近く、野手の判断が分かれることはよくあるという。そんなとき、永尾監督はノックを一時やめる。部員同士がその場で考え、話し合うためだ。「自分で考えないと、プレーを覚えない」。そんな永尾監督の考えが垣間見える瞬間と言える。


ケースノックができるようになったのは昨年から。それまでは走者を置けるほど部員がいなかった。



太良は1990年の夏の佐賀大会で4強入りし、翌春の県大会では優勝した。しかし部員は徐々に減少。9人で出場した3年前の夏は1人が熱中症でプレーできなくなり、没収試合になった。佐賀県内で3番目に人口が少ない太良町にあり、今後も部員は減ると思われていた。


永尾監督は昨春、就任した。佐賀市出身で、阪神など3球団でプレーし、1千試合出場も果たした元プロ野球選手だ。


練習に来る部員はそれまで10人前後。就任して人数は増えたが、来なくなる部員もいた。練習試合当日、他の部から借りた生徒が来ないこともあった。部員を増やそうと、中学の練習に積極的に顔を出し、部を変えようとしていることを監督に話して回った。


今、部員は26人いる。1年で4番を打つ北村爽空(りく)選手は佐賀市の川副中出身。元プロの監督がいると聞いた元高校球児の父から勧められ、やって来た。「(海に近い)グラウンドには小ガニが落ちていることもあり、すごいところに来たなと思った」と苦笑する。永尾監督のことは「なぜこの練習が必要か、実戦のどこにつながるかを論理的に説明してくれる」と話す。



部の雰囲気が変わり、ついていけなくなった部員もいた。2人しかいない3年の1人、佐藤史弥主将は昨年10月、休部した。「緩い同好会のような雰囲気だった部が甲子園を真剣に目指すようになり、監督が嫌いになった」と明かす。


だが、避けていた永尾監督から言われたのは「待ってるぞ」だった。目に入るのは、生き生きと練習する部員たちの姿。監督の言葉を思い出し、1カ月で復帰した。永尾監督は、練習に身が入っていなかったのが変わったと感じている。


「部員が増えたことで実戦的な練習ができるほか、競争意識が生まれる好循環が続いている」と永尾監督。練習試合でも勝つようになってきたという。「太良から甲子園を目指す」という目標を掲げて迎える2回目の夏。昨年は初戦で敗れた。指導に熱が入る。


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