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北朝鮮に2年拘束「毎日9時間尋問、自殺も考えた」

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2018-8-27 16:10:28  点击:  切换到繁體中文

 

北朝鮮西部の南浦(ナムポ)で今月、30代の日本人男性が拘束された。邦人保護を担う外務省は北朝鮮との交渉を一切明らかにしていない。かつて2年余り北朝鮮当局に拘束された杉嶋岑(たかし)氏(79)が、朝日新聞のインタビューに応じて当時の状況を語った。


――北朝鮮に拘束された経緯は。


「1999年12月、よど号ハイジャック犯を追悼するため、6人で北京から北朝鮮に入った。帰国当日、空港に向かうはずの車が突如、平壌市内のホテルに向かい、同乗していた監視員に一室に連れ込まれた」


――当局側から拘束理由の説明はありましたか。


「取調官から『スパイ容疑』と言われた。カメラや財布を没収され、3カ月もの間、1日約9時間の尋問が続いた。食事は3食出ていたが、自殺を考えたこともあった」


「尋問では日本政府のスパイだと認めるよう強要された。内閣情報調査室や公安調査庁との関係を調べているようで、取調官は私が過去に政府側に提供した北朝鮮の情報や写真を全部知っていた」


――政府にどういう情報を提供していたのですか。


「私は5回訪朝経験があり、政府から頼まれて撮影した写真を提供したり情報を説明したりした。ただ、拘束時のツアーは監視が厳しく、写真もほとんど撮っていなかったので、『現行犯』ではなく、私の訪朝を待っていたのだろう」


――北朝鮮の目的は何だと思いますか。


「当時は日朝国交正常化交渉が再開される数カ月前。北朝鮮は対日外交を有利に進めるためにカードを欲していたはずだ。私の釈放と引き換えに、日本から外交上の譲歩を引き出せると考えたのだろう」(聞き手・鬼原民幸)



すぎしま・たかし 静岡県生まれ。日本経済新聞記者時代に取材のため初めて訪朝。記者を辞めた半年後の1999年12月、5回目の訪朝で当局に拘束される。平壌市内のホテルや団地の一室など6カ所を転々としながら取り調べを受けた。


2002年2月に釈放され帰国。11年3月、拘束時の体験をつづった「北朝鮮抑留記 わが闘争二年二カ月 1999年12月~2002年2月」(草思社)を出版。拘束の状況や北朝鮮の生活事情、当局とのやりとりなどをメディアを通じて発信している。日本政府は杉嶋氏が釈放されるまでの経緯や交渉過程を明らかにしていない。



 

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