第4次安倍改造内閣が発足した。主要ポストには盟友や側近を配置した人事となった。甘利明氏は当初の構想通りではなかったものの、要職に押し込み、憲法改正に向けても側近を登用。融和よりも自身のこだわりを優先した形で、自民党憲法改正案の国会提出をめざすが、そのハードルは高い。
今回の人事で首相が腐心したのが甘利氏の処遇だった。2日夕、首相官邸で記者会見に臨んだ首相は、党四役の選挙対策委員長に就けた甘利氏について「実績、手腕、調整能力は、党内でもほとんどの方が高く評価しておられるのではないか」と手放しで絶賛した。
甘利氏は第2次安倍政権発足当時、経済再生相としてアベノミクスのスタートを中核的に支えた。麻生太郎副総理兼財務相や菅義偉官房長官とともに政権の屋台骨だったが、2016年に建設会社からの現金授受問題で閣僚を辞任。あっせん利得処罰法違反などの疑いで告発され、東京地検特捜部は不起訴処分(嫌疑不十分)としたが、表舞台から遠ざかっていた。
その復権が首相の狙いで、布石を打っていた。無派閥の甘利氏に対して、首相は一昨年末、麻生派入りを進言。「私にとってもプラスだからね」と語った。主流派の麻生派の力が増すのは得策な上、甘利氏を登用できるチャンスも広がる。国会で答弁を求められる閣僚での起用は難しくても、「党なら大丈夫だろう」(政権幹部)との判断だった。
候補は政調会長と総務会長だったが、総裁選で目算が狂った。石破氏が想定以上の票を得たことで、麻生氏と二階俊博幹事長とともに、岸田文雄・政調会長も続投させ、派閥会長による主流派体制を維持せざるを得なくなった。
今度は総務会長を模索したが、官邸幹部から懸念が相次いだ。「かつても『もうみそぎは済んだだろう』と判断したんだけど、いざ就任してみたら世論の温度感は違った。そういうこともあるから党役員に登用して良いのか」
橋本龍太郎内閣が1997年、ロッキード事件で有罪が確定した佐藤孝行氏を総務庁長官に登用し、猛反発を受けて12日間で辞任に追い込まれて失速。翌年の参院選に敗れて退陣した例に重ねた。首相側近も「登用すれば、またたたかれる」と漏らした。
党行政改革推進本部長の甘利氏は「省庁再々編」の旗を振り、総裁選では首相陣営の事務総長。露出が高まり、SNSなどでは現金授受をめぐる批判が再燃したことが影響した。首相は国連総会出席のため米国に発った9月23日までに、甘利氏を総務会長に登用することを断念。一つ格下で、定例の記者会見もない選対委員長で妥協することになった。
甘利氏は就任を受けた2日の記者会見で「私、秘書とも刑事訴追されていない。私については検察審査会もその必要性を認めていない」と強調したが、党執行部は「(甘利氏を政調会長や総務会長にするとの観測で)名前が出たのが早すぎた。つぶされた」と振り返った。
しかし、党役員人事では過去の不祥事やトラブルからの「みそぎ」を意識した人事も相次いだ。自衛隊の日報問題で防衛相を辞任してから1年強の稲田朋美氏は総裁特別補佐に。自身を支援する政治団体が学校法人「加計学園」の秘書室長から政治資金パーティーの費用として200万円を受け取りながら、政治資金収支報告書に記載していなかったと報じられ、昨年7月の都議選惨敗後に党都連会長を辞任した下村博文氏は憲法改正推進本部長となった。
財務省の不祥事や自身の軽率なふるまいで責任を問われた麻生氏の続投も早々に決定。党幹部は「スキャンダルを抱えた人ばかり。秋の臨時国会が始まる前から、色々出てくるかもしれない」と懸念する。閣僚経験者は「また、お友達だ。なぜわざわざ反発を招く起用をするのか」と反発した。
■石破派から若手を一…