プロ野球DeNAの高田繁ゼネラルマネジャー(GM)が、今季限りでプロ野球界を去る。1968年に新人王を獲得するなど王貞治、長嶋茂雄らとともにV9時代の巨人を支え、今年で50年になるプロ野球人生。「本当に幸せ。胸を張って卒業します」。野球を知り尽くした73歳には新たな「夢」がある。
「もう無理だ。へろへろ。自分でつくったチームの試合を見るのは本当に大変だよ。これからは一人のファンとしてゆっくり野球を見たい」。12日に横浜市の球団事務所で開かれた退任会見。「まだやれたのでは?」と聞かれ、高田GMはそう笑って否定した。
現役時代は走攻守の3拍子がそろった選手だった。引退後、日本ハムの監督やGM、ヤクルトの監督などを経て、2011年にDeNAの初代GMに就任。以来、7年間にわたって編成のトップを務めてきた。
シーズン中は都内の自宅から車を運転して横浜スタジアムへ通い、地方の遠征にも同行。学生や社会人の試合にも頻繁に足を運び、ドラフト指名候補選手を自らの目で見極めた。「カネがある球団なら俺はいらない。限りある予算の中で戦力を整えるのが俺の仕事なんだ」と何度も口にしていた。
数年前から球団に辞意は伝えていたという。「ここ2、3年は体力的にも精神的にもGMの仕事が厳しくなっていた」。慰留を受けるたび、頭に浮かんだのはGM就任時に当時の春田真オーナーと結んだ「3年でクライマックスシリーズ(CS)出場、5年で優勝」という約束だった。「私にも意地があった。優勝を果たして、なんとかいいチームをつくって去りたかった」。自分の退任後を見越し、選手出身ではない三原一晃・球団代表に野球の見方や編成のイロハを伝授しながら1998年以来の優勝を目指してきた。
CS出場は16年、5シーズン目で実現させたが、「これで最後」と固く決めていた今季も結果は4位。「優勝して、胴上げしてもらって、格好良い引き際を自分では想像していた。ファンの皆さんには申し訳ない」。会見の中で何度もファンへの謝罪を口にした。
今後はアマチュア指導者の資格取得を目指している。「口は達者だけど、体にガタがきている。元気でいられるかわからんけど」と前置きしながら、「これからは好きなことをやっていきたい。それはやっぱり野球だから。子どもや学生と一緒に思い切りやりたい」と目を見開いた。
「このチームに何が足りないのか、どこが補強のポイントかを一番に考えてきた」と高田GM。25日のドラフト会議が最後の仕事になる。「将来のDeNAで活躍できる選手を指名したい」と意欲を燃やした。(波戸健一)
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〈たかだ・しげる〉 1945年、大阪市出身。浪商高、明大を経て67年のドラフト1位で巨人入団。外野手としてV9の中心メンバー。80年に現役引退。85~88年日本ハム監督。その後巨人のコーチ、2軍監督を経て2004年に日本ハムのGM就任。08~10年途中までヤクルトの監督を務め、11年12月からDeNAのGM。今後は球団から離れるが、DeNA本社の「フェロー」として経営陣へのアドバイスなどを行う。
高田GMの後任は置かず
DeNAは高田GMの後任は置かず、三原球団代表が編成のトップを務める。吉田孝司GM補佐兼スカウト部長が球団代表補佐兼スカウト部長となり、選手経験のない三原代表を支える方針。三原代表は「高田GMからは、野球の内側を含めてたっぷり時間をかけて教えていただいた。高田繁の代わりになんてなれるはずはないので、組織で対応していきたい」と話した。