プロ野球に、「いてまえ打線」「猛牛軍団」の愛称で親しまれた「近鉄バファローズ」という球団があったのを知っていますか。
坂口と近藤、今もプレー
近鉄は2004年の球界再編の際、オリックスとの合併で消滅した球団だ。日本プロ野球機構(NPB)で今もプレーしている元近鉄戦士は2人だけ。ともにオリックスを経てヤクルトに移籍した坂口智隆(34)と近藤一樹(35)だ。2人はヤクルトの主力として、13日開幕のクライマックスシリーズ(CS)第1ステージで巨人に挑む。
2人とも近鉄時代はまだ、主力ではなかった。近鉄最後の指揮を執った梨田昌孝・前楽天監督は今年の交流戦で、「坂口と近藤も頑張っているよね。俺の時には活躍してくれなかったけど」と笑いながら振り返っていた。
坂口は02年秋のドラフト1位でプロ入り。近鉄は翌年のドラフトで自由枠を使ったため、坂口が近鉄最後の「ドラ1選手」だ。「(近鉄にいたのが)2年間だった僕が語れるわけでもないですが、一番最初に入った球団。今でもファンの方がいるので長くやりたいなと思います」。遠くを見やりながら、そう語る。
近藤は01年秋のドラフト7位。東京・日大三高で夏の甲子園優勝の実績をひっさげての入団だったが、芽が出るまで時間がかかった。「若手の、これからどうなるか分からないような立場でやっていた。主力じゃなかった分、何とも言えないのはある」
ただ、当時の猛練習が、35歳の今季になって、74試合に登板して自身初のタイトルとなる最優秀中継ぎに輝く下地になったという。「『昭和』な感じで鍛えてもらって、例えば『痛い、かゆい、と言ってんじゃねえよ』というので育った。だから、最後の一踏ん張りがきくのかな、と」
日本一になれず消滅
近鉄は4度リーグ優勝したが、一度も日本一に輝くことなく、消滅した。「悲運の名将」と言われた西本幸雄監督のもと、1979年の名勝負「江夏の21球」を演じた日本シリーズの死闘。仰木彬監督が率いた88年はロッテとのダブルヘッダーで最後に力尽きて優勝を逃した川崎球場の10・19。どこか哀調を帯び、時代時代で大きな試合に勝ちきれなかった印象の方が強いかも知れない。
近鉄戦士で現役を続けているのは坂口、近藤のほか、今季限りで大リーグ・マリナーズを退団する岩隈久志(37)だけだ。それでも今なお、「近鉄愛」をつなぎとめているファンはいる。近鉄ファンだった浅川悟さん(46)は今春、野球専門酒場「B―CRAZY(ビークレイジー)」を奈良市の近鉄富雄駅前にオープンさせた。「球団が消滅して(心のよりどころを失った)『近鉄難民』は多い。そんな人たちにとって、グッチーさん、近藤さんは第一線で活躍している最後の希望。CSでも頑張って欲しい」と、エールを送る。(笠井正基)