帰国した安田純平さんは、成田空港で家族と再会を喜び合った。
安田純平さん解放、これまでの経緯
安田さんが乗ったトルコ航空機は25日午後6時半、成田空港の駐機場に到着した。約5分後、安田さんが搭乗ブリッジの途中に設けられた階段を下り、報道陣の前に姿を見せた。
黒いTシャツ姿。頭髪と長く伸びたひげには白いものが目立った。報道陣の呼びかけには応じず、ワゴン車に乗り込んだ。
妻で歌手の深結(みゅう〈Myu〉)さんは、空港内の待合室で午後7時半すぎから報道各社の取材に応じた。涙ぐみながら頭を下げ、「先ほど無事に安田と対面できました。たくさんの皆さんにご心配をかけ、ご迷惑をかけ、この場を借りておわび申し上げます」と話した。
続いて、安田さんの「おかげさまで無事、帰国できました。可能な限りの説明をする責任があると思います。折を見て、説明させていただきます」というメッセージを紹介した。
空港の廊下で互いの姿が見えた瞬間、駆け寄って抱き合い、「おかえりなさい」「ただいま」と声を掛け合ったという。
安田さんの様子については「長い監禁生活で体力が落ちているようです。かなりやせていました」と明かした。安田さんの母親が作ったおにぎりやきんぴらごぼうをおいしそうに食べたといい、「あたたかいお風呂に入って、お布団で寝て欲しい」と夫を気遣った。
今後も紛争地での取材を続けるのか。深結さんが尋ねると、安田さんは「今は何も考えていない」と答えたという。(河崎優子、国吉美香、吉沢英将)
3年間の拘束 PTSDに似た症状も
「紛争地で3年間も拘束されるというのは非常に特異。帰国後の環境を含めた長期的なケアが必要になる」。自衛隊中央病院で精神科部長を務めた福間詳さん(61)はそう指摘する。
安田さんは、銃撃など死に直結する恐れのある「単発的な強いストレス」と、食事制限や虐待などで自由や希望を失う「慢性的なストレス」を同時に経験した可能性がある。これはベトナム戦争の帰還兵などに見られた複合的なPTSD(心的外傷後ストレス障害)の要因に類似するという。
「現状の様子だけで『問題ない』と判断せず、注意深く詳細に3年間の状況把握をする必要がある」と話す。
帰国後の環境も大事という。「状況は異なる」と前置きした上で、イラク・サマワに派遣された自衛隊員を診察した際、帰国後にPTSDの症状が見られた事例を挙げる。
現地では、宿営地近くにロケット弾が飛んでも、強い緊張感のなかで恐怖を感じることは少ない。むしろ帰国後に戻った日常との「落差」が要因となった可能性があるという。戦時中に米軍の捕虜となった福間さんの父親も、日常への復帰に二十数年を要したという。
休養や家族らのケアも大事だが、福間さんは、安田さんがジャーナリストである点を踏まえて「何もしないでいるよりは、体験を整理して書き起こすなど、これまでの活動も維持して、徐々に日常に近づけた方がいい」という。(清水大輔)