プロ野球で戦力外通告を受けた選手たちが集う「12球団合同トライアウト」が、13日にタマホームスタジアム筑後(福岡県筑後市)で行われる。かつてロッテに在籍し、2010年の日本シリーズで胴上げ投手になった伊藤義弘さん(36)も一昨年に受けた一人。「妻と子どもに、投げている姿を見せたかった。引退試合みたいでした」と振り返る。今は選手生活に終止符を打ち、大学院で研究する日々だ。
日体大大学院の体育科学研究科(東京・世田谷キャンパス)で、コーチングを専攻する。17年4月からの3年間で、中学・高校(保健体育)の教員免許取得をめざしている。
プロ入り前、国学院大に通っていた頃から、教員は将来の選択肢の一つだった。東福岡高校時代、ラグビー部監督でもある藤田雄一郎さんの体育の授業を3年間受けたことがきっかけだ。「上からではなく、生徒と近い目線で教育をしてくれる」。全国高校ラグビー大会で6度の優勝を誇る部の練習も見学し、「藤田先生が一番声を出しているし、練習用具も準備する」と尊敬の念は尽きない。
戦力外通告を受けた後、16年11月19日に、引退を表明した。そのときにはすでに「教員免許を取ることは、決めていた」。まずはパソコン教室に通い、ワードやエクセルなどを1日8時間受講。院試の勉強は、翌年1月中旬から始めた。
最初は「何を勉強したらいいのかも、分からない」状態だった。過去問を取り寄せるだけでなく、過去問製作者の本も買った。意味が理解できない専門用語は、辞書で調べた。傾向と対策がばっちりとはまり、2月の試験は「絶対にできたと思えた。勉強も野球の練習と一緒ですよ。きついけど、必要だと思うから、続けられる」。
もともと目の前の目標を一つひとつクリアして、積み重ねるタイプだ。大きな夢を描くのは、本分ではない。社会人野球のJR東海でプレーしていた2007年、秋のドラフト会議でロッテから4位で指名されたときは「行くか迷った」という。当時25歳。「安定か、挑戦か」をてんびんにかけ「プロ野球選手を人生の中で経験できる人は、そうはいない。1年目から覚悟して、絶対に活躍する」と誓い、プロの世界に飛び込んだ。
1年目から4年連続で50試合以上に投げ、ブルペンを支えた。だが11年、速球でへし折った相手打者のバットが左足に刺さる大けがを負った。その後も、ひじや腰を故障した。9年間のプロ野球生活で、後半はリハビリがほとんどだった。
今は「次のステップに上がるための充電期間」と位置づける。研究室の仲間には、東京五輪・パラリンピックをめざしているアスリートもおり「モチベーションの高い人たちと、学びをともにできることは面白い」。来年には、母校の東福岡高で教育実習を行う予定。「ここで得た知識で学生をコーチングをしたら、子どもたちにどんな幸福感がもたらされるのか」。今から楽しみで仕方ない。(井上翔太)