明治神宮野球大会は13日、高校の部で星稜(北信越・石川)が1991年の第22回大会以来となる、3度目の優勝に挑む。星稜高野球部出身で、現在は朝日新聞東京本社スポーツ部の福角元伸デスクが、当時の思い出を振り返った。
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大リーグのヤンキースなどで活躍した松井秀喜さんや、エースだった山口哲治さんと一緒に、私も「7番・一塁手」として、91年の優勝メンバーに名を連ねさせてもらった。
やはり、印象に残っているのが決勝だ。相手は帝京(東京)。両チーム計22安打の乱打戦となったが、13―8で勝てた。主砲・松井が4四球と徹底マークされた。これに燃えた私たち下位打線が、計10打点をたたき出したのを思い出す。
このときの「松井4四球」は明らかな敬遠もあったし、ストライクに近いボールや、際どいところを攻められながらの四球もあった。翌年夏の甲子園、明徳義塾(高知)戦の5打席連続敬遠を思い起こさせるようだが、実は似たような展開はそれより前にあったのだ。ご存じの通り、甲子園ではからっきし、私たち下位打線が打てずに敗れてしまったが……。
話を戻そう。
どちらかと言えば、あの秋の星稜は打撃のチームだった。現在の林和成監督も決勝は「2番打者」で出場し、2安打していた。1学年下の遊撃手だったが、左右前後の動きが軽快で強肩だった。あれから、27年。指導者として堅守のチームをつくり、決勝の舞台に戻ってきた。
来秋のドラフト1位候補と言われるエース・奥川恭伸の完成度の高い投球、野手陣も走攻守がそろっている。91年の優勝監督で、私の恩師でもある山下智茂総監督には、こう言われた。「おい福角。今の星稜なら、あのときのメンバーで試合に出られたのは松井と山口だけや」。顔は笑っていたが、目は本気だった。
すでに私は、今夏の第100回全国高校野球選手権記念大会で、松井と一緒に開会式直後の藤蔭(大分)戦を観戦していた。彼も「俺たちの頃とレベルが違うな」と漏らしていたのを覚えている。
実際に今回の神宮大会初戦の広陵(中国・広島)、2戦目の高松商(四国・香川)戦を見ると、確かに強い。あらためて恩師と同級生の言葉がよみがえった。
ただ、秋に強いからと言って、安心はできない。油断は禁物という経験をしたからだ。私たちは神宮大会優勝後、92年の選抜大会では優勝候補に挙げられながら、準々決勝で天理(奈良)に1―5で敗退。一方で、神宮準優勝だった帝京は猛練習の冬を過ごし、見事に春の甲子園を制した。
まあ、あの時代をともに過ごし、私よりも好選手だった林監督には「先輩が一番、油断していたでしょ! 言われなくても、十分わかっていますから」と、突っ込まれるだろう。余計な心配なのかもしれない。
決勝の相手は札幌大谷(北海道)。初出場ながら、龍谷大平安(近畿・京都)などを倒してきた勢いがあり、好ゲームになりそうだ。(福角元伸)