沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校(児童数650人)の校庭に米軍ヘリの窓が落下した事故から13日で1年になるのを前に、桃原(とうばる)修校長(59)が11日、報道各社の取材に応じた。今も一帯を米軍機が飛び、児童の避難回数は2~9月で691回に上った。「教育を受ける権利が損なわれている」と訴えた。
桃原校長によると、隣接する米軍普天間飛行場の米軍機が学校周辺を毎日のように飛び、体育の授業が立て続けに5回中断させられたこともあった。4月に着任した桃原校長は「避難自体がストレス。のびのびと育つ環境整備をしたい」と感じたという。
保護者らと話し合い、9月中旬以降、米軍機が近づくたびに監視員が避難を呼びかけることをやめ、児童の自己判断で避難する仕組みに変えた。避難回数は10月以降、2回だった。「決して飛来が減ったわけではない。子どもが音を聞き、目視して自分の判断で行動できる力を身につけてほしいと考えた」と説明した。
報道陣からは、14日にも土砂が投入される普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画や、その賛否を問う県民投票にも質問が及んだ。辺野古移設について「いまだに基地を造ろうとすることに、なぜ沖縄だけという思いがある。普天間の閉鎖イコール辺野古移転との考えが固定化しているのは疑問」とし、宜野湾市などで実施が危ぶまれている県民投票については、「個人的には投票させてほしい」と述べた。
事故から1年となる13日朝の全校集会で、事故の経緯や、学校が普天間飛行場の近くに建てられたいきさつを説明する。「事故直後、『基地のそばに建てておきながら』という中傷が相次いだ。子どもにきちんと説明するのが義務だと思っている」と話した。(伊藤和行)