2008年9月のリーマン・ショック後、外国為替市場では急激な円高となった。米国発の金融危機や欧州の政府債務危機でドルやユーロの信頼が揺らぐ中、「安全資産」として円が買われた。円高は自動車などの輸出産業を苦しめ、景気低迷は長引いた。最近は日本銀行の異次元緩和もあり円安傾向が続くが、景気の先行きが不透明になると円高になる傾向は、今なお日本経済を悩ませる。(斎藤徳彦)
リーマン後の円高、製造業に爪痕
北九州市中心部近くの4・5ヘクタールの広大な更地。6年半前、東芝が閉じた工場の跡地は手つかずのままだ。
近くに住む元従業員の男性(75)は今も、自宅玄関に半世紀勤めた工場の写真を飾る。入社したころの白黒写真から、敷地に新棟が次々と建つ様子が続き、最後の6枚目で唐突に現在の空き地となる。「何千人も働いた時代を知っているからね、さみしいさ。若い世代は、リストラでもっとつらかっただろう」
1920年に電球工場として生産を始め、時代とともに半導体工場に。90年以上、市内の電機産業の象徴だった。だが2011年11月末、国内拠点の再編で東芝が閉鎖を決めた。当時の市幹部は「存続をかけあうにも、国内のものづくりはもう厳しい、という空気まであった」と振り返る。
工場閉鎖は、リーマン後の急激な円高が日本の製造業を襲った爪痕の一つだ。
08年9月15日のリーマン・ショックで、前月に1ドル=110円だった円相場はあっという間に100円を割り込んだ。
危機前の好況時、円は主要国の中でも金利が低く、投資家の間では低金利の円を借りて高利回りの外貨建て資産へ投資する「円キャリートレード」が過熱。これが不況時には逆回転し、外貨が売られて円が買われ、円高が加速した。
ショックの震源地となった米国では、中央銀行の連邦準備制度理事会(FRB)が、ゼロ金利政策を導入し、大規模な量的緩和政策で大量のドル資金を市場に流し込んだ。低金利のドルが売られ、円が買われる流れが定着した。「米国のマネタリーベース(中央銀行が市場に供給する資金量)の拡大ペースがとにかく圧倒的だった」(ソニーフィナンシャルホールディングスの尾河真樹・金融市場調査部長)
欧州の政府債務危機でユーロも不安定になり、さらに円買いが強まった。市場には「リスクがある時は、(価値が下がらない)『安全資産』の円を買う」という行動がしみついた。
円高はガソリンなどエネルギー価格や輸入食品の値下がりにつながる面もある。だが金融危機に加え、円高による輸出減速が日本経済を揺るがし、デメリットははるかに大きかった。「世界経済全体が悪くなる時に同時に(輸出へ不利な)円高が進むので、日本経済にとっては影響が二重に来てしまう」。元日本銀行理事の門間一夫氏はそう指摘する。
「伝家の宝刀」為替介入、さやに戻せず
ショックから丸2年後の10年9月15日朝。フランス出張を切り上げた玉木林太郎財務官(肩書は当時)は、空港から財務省の大臣室へ急いだ。円高を食い止める円売りドル買いの為替介入の判断を仰ぐためだ。
「これは、やらなければいけない時です」
野田佳彦財務相の腹は決まって…