宮城県山元町の幼稚園を襲った東日本大震災の津波で娘を亡くした女性が、各地の幼稚園や保育園に命の大切さを伝え続けている。あの日の体験とともに託すのは、娘の笑顔を思い出させるヒマワリの種と歌。それに応え、災害への備えを見直す施設も出ている。
2011年3月11日、同町の私立ふじ幼稚園を津波が襲い、園児8人と職員1人が亡くなった。隣の亘理町に住む高橋ひろみさん(53)の当時5歳の娘ひな乃ちゃんも、その1人だった。
この日午後、幼稚園には園児51人が残っていた。余震のなか、園庭にとめたバス2台で待機していたとき、津波が押し寄せた。
高橋さんは遺体安置所で、眠るように横たわるひな乃ちゃんに再会した。フリルの入ったスカートに、お気に入りの白いブーツを片足だけ履いていた。
負けず嫌いで、人を笑わせるのが大好きだった一人娘。ぜんそくで入院した経験からか、看護師になるのが夢だった。
園はそれまで火災や地震に備え…