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発生から8年になる東日本大震災。それぞれの時を刻む被災地の今を追った。
岩手県釜石市・大船渡市
長い階段を上って登校する赤崎小学校の児童たち=2019年2月13日午前7時50分、岩手県大船渡市、諫山卓弥撮影
大槌湾などに面した岩手県釜石市の鵜住居地区。東日本大震災による死者・行方不明者は580人に上る。津波で校舎が全壊した鵜住居小学校と釜石東中学校は2年前、標高18~26メートルの高台に移転した。
小学校、そのすぐ上に中学校と真新しい校舎が並ぶ。毎朝、通学路となる階段を上る子どもたちの中には、震災の後に生まれた児童も交じるようになった。
中学校までだと171段ある階段は、幅もあるため町中からもよく見える。目立つ造りにしたのは、登下校する子どもたちの姿を復興の象徴にしたいとの思いからだ。
2人の子どもが通う山陰葉子さん(32)は「安全な場所に向かっているという安心感がある」と話す。
長い階段を上って登校する赤崎小学校の児童たち=2019年2月13日午前6時34分、岩手県大船渡市、諫山卓弥撮影
岩手県大船渡市の赤崎小学校も高台に移転した。震災前は標高3メートルにあり、被災。他の小学校に間借りして授業を続けた後、2017年4月、標高28メートルの高台に新しい校舎が完成した。
今、児童たちの多くはスクールバスで通学するが、一部は学校の裏にある148段の長い階段を使う。元々は校舎の建設工事のために造った仮設階段を、災害時の避難や通学用にするため改装した。
副校長の熊谷賢さん(57)は「長い階段は大変かもしれないが、子どもたちが最初から安全な所にいるということは大きい」と話す。
宮城県名取市
宮城県名取市の「ゆりあげ港朝市」。人気の「セリ」で買った魚介類は、炉端焼きコーナーですぐに食べられる=西岡臣撮影
40年以上続く宮城県名取市の「ゆりあげ港朝市」。日曜・祝日の朝6時から開かれ、近海でとれた魚介類などが並ぶ。震災の津波で売り場が流され、一時休止したが、約2週間後には近くの商業施設の駐車場で再開。2013年に元の場所に戻った。
震災後に始めて人気なのが、誰でも参加できる「セリ」。ウニやカキなどの値段が発表されると、購入希望者は手に持ったうちわを勢いよく上げる。その場で食べられるよう、炭や金網を置いた炉端焼きコーナーも設けた。
震災前から朝市に通う浅川孝子さん(59)は「セリのおかげで活気が出た。心の傷を癒やしてもらった」。昨年の来場者は震災前並みの約40万人に達した。「最近、家族連れが目立つようになった」とゆりあげ港朝市協同組合代表理事の桜井広行さん(64)は話す。
40年以上続く宮城県名取市の「ゆりあげ港朝市」。日曜・祝日の朝6時から開かれ、近海でとれた魚介類などが並ぶ=西岡臣撮影
宮城県名取市の「ゆりあげ港朝市」。震災後に始めた「セリ」には誰でも参加でき、ウニやカキなどの値段が発表されると、うちわを上げる=西岡臣撮影
福島県いわき市
すしを握る渡辺光一さん=2019年2月22日午前11時43分、福島県いわき市、関田航撮影
福島県いわき市にある「光寿司」は創業約50年を迎える老舗。海まで200メートルほどだが、津波の被害はそれほど大きくなかった。震災後約1カ月で営業を再開した。
東京電力福島第一原発の事故後、福島では試験操業が続く。店で扱うネタも県外産の魚が多い。震災前は主に地元の魚をネタにしていたから、やはり寂しさは募る。
店主の渡辺光一さん(74)は「被災した近隣の集落から若い人がいなくなって、かつてよく来てくれたお客さんも足が遠くなっちゃった気がするよ」。
■福島県…