平成の最後に新時代の看板力士が誕生した。27日、大関昇進を伝える使者を迎えた貴景勝(22)=本名・佐藤貴信、兵庫県出身、千賀ノ浦部屋。芦屋で育った「やんちゃ坊主」がここに至るまでの道のりは、埼玉ですごした高校時代を抜きには語れない。
相撲特集:どすこいタイムズ
24日の春場所千秋楽。大関昇進をかけた大一番を前にした土俵入りで、貴景勝がつけていた化粧まわしは母校から贈られたものだった。オレンジ色の生地に「栄高」の文字。数々のOB力士が締めてきた伝統の化粧まわしだ。
地元の兵庫・報徳学園中3年で中学横綱に輝いた。卒業後は大相撲への入門を考えていた貴景勝に、高校進学を勧めたのが埼玉栄高相撲部の山田道紀監督だった。「身長が高い方じゃないから、けがをしない体を高校でつくってプロに行けと言ったんです」。素質を感じたのはふくらはぎ。「キュッと締まった良い形をしていました。この子がほしいって思ったね」。何度も兵庫に足を運んで説得した。
小学3年で相撲を始めた貴景勝。周囲が「『巨人の星』の星飛雄馬と父一徹のような関係だった」と表現するスパルタ教育を父の佐藤一哉さん(57)から受けてきた。それだけに、「相撲に関しては最初から手がかからなかったですよ」と山田監督は振り返る。
その半面、入学当時の生活態度は向こうっ気の強い「やんちゃ坊主」そのものだった。「先輩に対してもタメ口でね。こいつをどうしていこうかって面食らったね。自分は強い、という勘違いがあった」。相撲が強い、弱いで差をつけないのが埼玉栄の伝統だ。たとえ中学横綱でも、先輩から箸の上げ下げまで注意される寮生活。1年生から団体戦のレギュラーだった貴景勝も、他の同級生たちと同じように米炊き、そうじや洗濯に駆けずり回った。
貴景勝は高校生活をこう語った…