第50回の記念大会を迎えた全国ミニバスケットボール大会が30日まで、群馬県高崎市の高崎アリーナで開かれている。1999年の第30回大会で、ともに清和クラブ(三重県)の一員として全国大会に出場したBリーグの千葉・西村文男と滋賀・伊藤大司に当時の思い出を語ってもらった。(河野正樹) ◇ ――ミニバスに出会ったのはいつか。 伊藤 「四つ年上の兄(拓摩=前A東京監督)を追いかけて1年生からミニバスを始めた。そこで会ったのが文男。同じ小学校にやんちゃな子がいると聞いていたけど、本当に怖いもの知らずだった。(三重県)鈴鹿市で有名な怖い監督にも平気で軽口をたたいていた」 西村 「朝練している体育館をのぞいたら、『シュートを打ってみるか』と監督の杉本和寿先生から言われた。下から投げてみたら、そのうちの1本が入った。幼稚園からサッカーをやっていてサッカー部に入ろうと思っていたけど、その感覚が気持ちよくてバスケットを始めた」 ――ミニバスで1年生は2人だけ。ずっと2人で練習していた。 伊藤 「1年生は4時間目で授業が終わる。上級生の授業が終わってミニバスの練習が始まるまで、ずっと体育館で2人で1対1をやっていた。文男はとにかくセンスが抜群。今と同じように、当時から涼しい顔してトリッキーなパスを出し、フローターシュートを打つ。みんなで『ぽよよんシュート』って呼んでいた」 西村 「1対1はずっと大司が強かった。たまに自分が有利になると、大司の方が体が大きかったので、急に体を使ったポストプレーを仕掛けてくる。『ずるい』って言っていたのをよく覚えている。自分は基本的にかっこいいプレー、女の子にもてるようなプレーばっかりしていたかな」 ――6年生で全国大会に出場した。 伊藤「第30回の記念大会で、実業団の選手が来てくれたフリースロー大会があった。自分のところには長谷川誠さん(現3人制日本代表コーチ)が来てくれたので、喜んでいた。でも、知っている有名選手が来てくれたことで、逆に緊張していきなりフリースローを外してしまった」 ――6年生で出場した全国大会はブロック決勝で負けた。 伊藤 「4年生から文男を含め、仲良し4人組でプレーしていた。遠征しても勝っていたので、優勝する気満々で行った。ところが、180センチを超える選手がいた群馬県のチームになすすべなく負けてしまった。本当に自信もあった。これで終わるのかと思って全員が泣いていた」 西村 「『俺が勝たせてやる』ぐらいの気持ちでいつもプレーしていたけど、何もできなかった。その選手が中学校で野球部に入ったと聞いてがっくりした」 ――当時はポジションは別々だが、今は同じポイントガード。Bリーグでマッチアップするが、どんな気分か。 西村 「一緒に(国際大会の)ジョーンズカップの代表候補に入ったとき、『まさかここで並ぶとはね』と言い合った。プロになって最初に試合をした頃はぐっときた。大司をマークしていると、基本的に子どもの頃と変わらないから、次に何をしたいかがわかる」 伊藤 「チーム戦とはいえ、子どもの頃と同じような気分になる。素直に負けたくないし、ライバル心もある。互いに原点を知っているから嫌なところをマークしてくる」 ――指導していた杉本先生が現在でも清和を指導していて、2人がつけていた「17」と「7」が今でもエースナンバーだ。 伊藤 「僕は兄の背番号をつけただけ。でも、そうやってチームの伝統になって、自分が子どもたちの目標になっているのはうれしい」 西村 「やんちゃな部分ではなくて、バスケットの部分を見てくれたのかな。それはうれしい」 ――ミニバスとは。 伊藤 「当時はイケイケ。のびのびと自由にやらせてくれて本当に楽しかった。今までで一番バスケットが楽しかった時期かもしれない」 西村 「やんちゃな自分に人間的なことを教えてくれたのがミニバス。あとは基本。あの頃、練習したドリブル、パスは今でも通じるし、負けない」 今大会の見どころは 28~30日に群馬・高崎アリーナで開かれる第50回全国ミニバスケットボール大会の見どころについて、日本ミニバスケットボール連盟の坂本昌彦理事長が語った。 昨年の大会から初期のころと同じように、優勝チームを決めず、全チームが3試合、経験できるようにする「交歓」大会に大会方式を変更。1チームの学校数の制限(4校)も撤廃し、少子化に対応した。 ミニバスはそのルールを見てもわかるとおり、多くの子どもたちが参加し、バスケットボールの楽しさを知ることが一番の目的だ。日本の子どもの人口が減るなかで、ほぼ横ばいの約15万人の登録者数を維持できている。だからこそ、勝利至上主義ではなく、楽しむことを主眼に置いた大会方式を当面続け、裾野を広げたいと考えている。 昨年の大会を見ると、優勝を決めないため、無意味にキープしたり、極端に守備的な戦術を取ったりすることが減った。子どもたちがドリブルでチャレンジし、シュートを放つ場面が増え、スピード感ある試合になったような印象がある。バスケットが本来持つ魅力を取り戻したような大会になった。今大会も同様の大会になるように期待している。 さて、全国大会は今年で50回目の節目を迎えた。関係者のみなさまの努力と協力の下で、大会の形を時代に応じて変え、ここまでたどり着いた。心から感謝したい。 ◇ にしむら・ふみお 1986年生まれ、三重県出身。福井・北陸高、東海大を経て日立(現在はBリーグのSR渋谷)に加入。2014年から千葉でプレー。ポジションはPG。控えながら先発の富樫勇樹と異なるプレースタイルでチームを引っ張る。177センチ、70キロ。 いとう・たいし 1986年生まれ、三重県出身。米モントロス・クリスチャン高から全米大学体育協会(NCAA)1部ポートランド大に進学。BリーグのA東京などを経て今季から滋賀に所属。兄の拓摩は前A東京監督。ポジションはPG。184センチ、77キロ。 |
ミニバスケ、プレーの楽しさの原点 B1選手ら語る魅力
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