寺嶋千恵子さん(左)と成人さん=名古屋市天白区
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「親子そろって死ぬ可能性がある」――。難病によって体に重い障害がある女性が昨春、妊娠し、医師にそう宣告された。成長する胎児によって、障害がある体に負担がかかり、命を落とすかもしれないからだ。
それでも女性は産みたいと願った。
中絶ならタイムリミットまで1カ月
「産めるなら産みたいです」
名古屋市天白区の寺嶋千恵子さん(32)は2018年4月4日、夫の成人(しげひと)さん(29)と名古屋第二赤十字病院(名古屋市昭和区)・神経内科の主治医に妊娠を打ち明けた。
「医師としては勧められません」。予想通りの答えだった。
千恵子さんは国指定難病の脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)の患者。筋力が低下する進行性の難病で、根本的な治療法はない。体重は小学1年生並みの20キロほど。背骨が湾曲していて重度の肢体不自由もあるため、生活のほぼすべてに介助が必要で、ヘルパーを24時間利用して暮らしている。普段の移動には車いすが欠かせない。
医師は「妊娠しないように」とかねて忠告していた。胎児によって肺や横隔膜が圧迫され、呼吸ができなくなる恐れがあるからだ。出産は命を落とすことにもなりかねない。ただ「こればかりは千恵子さんの意思が大事です」と産婦人科の受診を勧めた。
パソコン作業をする寺嶋千恵子さん。介助ヘルパーに口頭で指示を出す=名古屋市天白区
翌週、産婦人科へ。名古屋第二赤十字病院で産婦人科部長を務める加藤紀子医師(57)は千恵子さんの思いを受け止めつつも、厳しい現実を伝えた。
「生まれる可能性は99%ない」「親子そろって死ぬかもしれないよ」
病院の医師が調べた限りでは、千恵子さんほど重度のSMA患者の出産は国内では前例がなかった。「死亡する可能性が高いとわかっていながら、妊娠の継続を勧めることは医者としてできなかった」。加藤医師はそう振り返る。
妊娠、出産が千恵子さんの体に及ぼす影響は、ほかにも多岐にわたった。呼吸状態が悪化すれば、たとえ命が助かったとしても、気管切開をしたうえで人工呼吸器が手放せない生活になるかもしれない。それは声を失うことも意味した。出産にこぎ着けたとしても、帝王切開による早産は避けられず、出産時期によっては子どもに重篤な後遺症が残るかもしれない。
SMAは遺伝性の疾患だ。両親がいずれもSMAに関係する遺伝子を持っている場合、生まれてくる子どもが発症する可能性がある。
加藤医師は千恵子さんの体に負担をかけずに、器具で胎児をかき出す搔爬(そうは)による中絶を考えていた。そのためには妊娠10週の4月下旬ごろの決断がタイムリミットだと告げた。
迷う夫「俺がおろしてって言ったら…」
千恵子さんは、内海市郎さん(64)と美穂子さん(58)の長女として1987年に生まれた。なかなか立てないことに気づいた両親が病院を受診し、SMAの発症がわかった。当時は、障害がある子どもは、そうではない子どもと分かれて学ぶのがほとんど当たり前だった時代。だが、両親は教育委員会と掛け合って、娘を地域の小中学校の普通学級に通わせた。
米国内の視察先となったカリフォルニア州バークリーでは、車いすスポーツを指導している男性(中央右)に話を聞いた=2016年4月、寺嶋千恵子さん提供
千恵子さんは短大を卒業後、障害者の自立を支援する社会福祉法人「AJU自立の家」(名古屋市昭和区)と関わるようになり、障害がある人たちが施設ではなく、地域で生活できるようにサポートしている。同法人でヘルパーをしている成人さんと出会い、2017年夏から2人で暮らし始めた。16年には米国務省の招待で渡米。自身がそうであったように、障害があってもなくても、ともに学ぶ「インクルーシブ教育」をテーマに米国内の学校などを視察した。そして、名古屋市の障害者運動では中心的役割を担う存在になった。
米国内の視察先だったサンフランシスコでは、車いす利用者の自宅を訪問し、24時間の介助が必要な人がアメリカではどんな生活をしているかを聞いた=2016年4月、寺嶋千恵子さん提供
千恵子さんが現在の道を歩むきっかけを与え、いつも背中を押してくれたのが両親だった。美穂子さんは「できないことがあっても、どうしたらできるかを考えなさい」と娘に教え、育てた。
それだけに千恵子さんは自分が決めた出産なら、両親は応援してくれるはずだと思っていた。しかし、それは甘かった。
2018年4月23日、千恵子…