1948年に韓国・済州島で軍や警察が多数の島民を共産主義の同調者とみなして虐殺した「4・3事件」の追悼式が3日、ソウルで開かれ、警察トップの閔鉀竜(ミンガブリョン)・警察庁長官が「再びこのような悲劇が繰り返されないよう国民に献身する警察に生まれ変わる」と述べた。
国防省も同日、事件について遺憾の意を表明。警察と軍が事件の遺族らに謝罪したのは初めてだ。
「4・3事件」は朝鮮半島の南北分断が強まっていた48年4月、米軍統治下にあった半島南側だけでの選挙に反対する武装勢力が蜂起し、軍や警察が鎮圧に乗り出したことに端を発する。韓国政府の調査委員会は、54年までに島民の10分の1にあたる2万5千~3万人が犠牲になったと推定。昨年4月に文在寅(ムンジェイン)大統領が謝罪したが、当時の軍や警察関係者には「共産主義から国を守った正当な公権力行使」との主張が根強かった。
事件を受け、約3千人が日本に逃れたとされる。この日、済州島での追悼式に参加した在日本済州四・三事件遺族会の呉光現(オクァンヒョン)会長(61)=大阪市=は「謝罪は評価するが、警察や軍は記録を積極的に開示し、自らが何を行ったのか明らかにしてほしい」と話した。(ソウル=武田肇)