長野県松本市で1994年に起きた「松本サリン事件」から、27日で25年になる。事件の現場となったのは、松本市のJR松本駅から北東に約1・5キロの住宅街。近くには、信州大や松本城がある。オウム真理教の幹部らが噴霧車でサリンをまいた駐車場、第1通報者となった河野義行さんのかつての自宅、6人が亡くなった2棟のマンションが、今も残っている。
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現場近くに住む女性(75)は、自宅でサリンを吸い込んだ。目が見えにくくなり、何度か通院した。連日のように警察や記者が訪れ、「すごい騒ぎだった」と振り返る。ただ最近は、事件は風化したとも感じる。「絶対に忘れることはない。でも、当時を知らない人も増えてきた。少しずつ過去のことになってきている」
一方、事件の発生からしばらく、警察とマスコミが河野さんを犯人視したことは、住民たちの脳裏に刻まれている。近くに住む男性(75)は当時、新聞記事を読み、「河野さんが犯人だ」と信じてしまったという。「今でも河野さんのことは気にかけている。疑ってしまったことは忘れない」と話した。
「これはマスコミの人が持っていた機材がこすれてできた傷です」。永田誠子さん(70)が、自宅の居間の壁を指さして言う。3年前に亡くなった夫恒治さんは弁護士として、河野さんの代理人を務めた。
壁に傷が残る居間は、事件の被害者でもあった河野さんが退院後、記者会見をした部屋だ。10畳ほどに数十人の報道陣がぎゅうぎゅう詰めになっていた。「終わったあと、壁に汗がしみていました」。壁にはってあった和紙はところどころ、はがれ落ちていた。
「直したほうが……」と言う誠子さんに対して、恒治さんは「いいんだ、そのままで」と返したという。
「背中に何本もの矢を撃たれているようだった」。痕跡が残る居間で、誠子さんは、当時の夫の姿を思い出した。
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〈松本サリン事件〉 1994年6月27日午後10時40分ごろ、長野県松本市北深志1丁目の住宅街で、オウム真理教の幹部らが猛毒のサリンをまき、8人が死亡、約600人が重軽症を負った。教団関係の訴訟を担当していた長野地裁松本支部の裁判官官舎を狙ったとされる。発生後、第1通報者の河野義行さんを犯人視した警察とマスコミが、批判を受けた。昨年7月に死刑が執行された元教団幹部13人のうち、松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚を含む7人が事件に関与していた。(田中奏子、小松隆次郎)