30ほどある部室のロッカーのうち、埋まっているのはたったの三つ。壁にはいたるところに先輩が残した書き込みがある。「甲子園行け!」「ここから気合だ」「頑張れ峡南」
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峡南高(山梨県身延町)の野球部員はいま、各学年1人ずつの3人。練習はキャッチボールやノック、ティー打撃などに限られ、場面を想定した実戦的なことはできない。
「心を育て甲子園に往(ゆ)く」。グラウンドには、甲子園に戻る願いを込めた言葉が掲げられている。峡南は1972年夏と83年春、甲子園出場を果たした。
市川、増穂商と統合し、来春から新たな学校となる峡南。最後の夏、チームは山梨大会に出場しない。3年の主将、宮内直哉君は今月で引退する。「全力でやり遂げる」と残りの日々を懸命に練習してきた。
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甲陵(北杜市)との連合チームで臨んだ昨夏。初戦で敗れたものの、先発出場した宮内君は1安打した。大会後、チームは滝沢翔哉君(2年)と2人だけに。宮内君は「試合に出られないのなら意味がない」と思い、退部を申し出た。
甲陵の新チームは4人になった。連合チームを組むには両校であと3人集める必要がある。甲陵が新たに5人の部員を集めれば単独で出るだろう――。そんな諦めがあったからだ。
監督の望月勇太さん(34)は「こういう環境を経験しているやつらはそうはいない。ここでしか学べないことだってある」と声をかけた。
宮内君と同学年の2人は途中で退部し、自身も何度もやめようと思った。ほとんどの大会を他校との連合チームで出場し、人数がそろう学校がうらやましかった。「続ければきっと得られるものがある」。監督の言葉に背中を押された。
新入生がたくさん入部し、単独チームとして試合に臨みたいのは両校共通の思いだ。4月、峡南に入部したのは児玉幸翼(こうすけ)君(1年)だけ。早速、部員集めが始まった。
野球経験者や退部した元部員らに声をかけて回った。だが、宮内君は次第に疑問を感じ始める。「3年間、必死に野球をやってきた。やめた人にお願いしてまで一緒にプレーをするのか」。寄せ集めチームと戦う相手に失礼だ、とも感じるようになった。
甲陵はその後、部員数がそろい、単独で出場することになった。
「夏どうする?」。5月中旬、望月さんは宮内君を呼んだ。試合に出たいと言ったら、一緒に野球経験のある生徒たちにかたっぱしから頼むつもりだった。
宮内君は思いを打ち明け、出場しないことを選んだ。望月さんも峡南野球部OB。母校の単独出場よりも、宮内君の決断を尊重した。
29日、宮内君は引退する。望月さんが声をかけたOB15人ほどが集まり、引退試合をして送り出す。
「礼儀やあいさつなど、人として大切なことをたくさん学んだ。野球を続けてきてよかった」
宮内君は一足先に、「最後の大会」を迎える。(玉木祥子)