篠ノ井(長野市)には「甲子園の木」と呼ばれる木がある。1984年、同校が全国高校野球選手権大会に初出場したのを記念して、後年に植えられたものだ。
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毎年夏の大会前になると、同校では2、3年の野球部員がその葉に思いを書いて、野球帽の裏に挟んで大会に臨む。「力むな。煩悩を捨てろ」。今大会のエース、駒村怜央(れお)(3年)は6月28日、そう書き込んだ。
昨年8月下旬。駒村は仲間から「ダメ出し」を受けた。「エースなのに、そんな生活態度で良いと思ってんのか」「エースとしての自覚がない」。確かに思い当たることは多々あった。
例えば、遅刻。普段から時間にルーズで、グラウンドの練習にも遅れることがあった。忘れ物もしょっちゅう。この日は他校との練習試合に、なんとグラブを忘れて登場した。
当時は肩を疲労骨折しており、プレーができるわけではない。ただキャッチボールなど練習の手伝いはできるはずだった。同校野球部は普段からお互いの問題点を率直に指摘し合うことを大切にしており、見かねた仲間が声を上げた。元々は上級生を差し置いて登板するほどの実力の持ち主。駒村は「あの日は、行動が適当な自分への悔しさと情けなさで泣きました」。
以後、態度は改まったが、今度はライバルが登場した。1人は1学年下の糸田隼輔(2年)。直球に力があり、昨秋の県大会ではエースを奪われた。もう1人は同級生の町田康太(3年)。もともと野手だったが、「肩には自信がある」と手を挙げた。他校との練習試合では5回を無失点の好投。野手からは「町田の方がいい」という声も上がり、駒村は「本職としてはかなりつらかった。見返してやりたかった」。
奮起の冬が始まった。ライバルを超える直球を身につけたいと、上半身はベンチプレスと懸垂で筋力を強化。シャドーピッチングも繰り返し、下半身を使いこなした投球フォームに一新した。「きついから」と避けていた走り込みも、ノルマを決めて取り組んだ。そんな駒村の変化を主将の槙村秀介(3年)は「自ら走る姿なんて見たことなかった。精神的に強くなっているのがわかり、うれしかった」。
今春のグラウンド。駒村の投球に、仲間たちは目を見張った。中でも直球は回転がかかり、よく伸びる上、球速も増した。実戦形式の打撃練習で仲間たちは三振の山。町田は「冬前は3打席に1回くらいは打てたが、全然打てなくなった。まともに当たらないストレートなんて初めて。相手チームにいてほしくないと思いました」。
今春の県大会地区予選。背番号「1」を背負った。初戦から登板を重ね、県大会進出の立役者となった。
そして迎える夏の大会。
「エース以前に自分はいち投手。余計なことは考えず、チームの勝利に何ができるか。自分の球を投げるだけです」
おごらず、緩まず、目的意識を持って――。「甲子園の木」の葉には、そんな決意を込めた。=敬称略