「でも、おれは、先輩みたいにはなりたくない」。長野西の主将・関蒼大(そうた)(3年)は野球ノートに書き込んだ。かつては球児として様々なことを学んだはずの先輩たち。そんな背中に引かれてきたからこそ、いまの姿にショックを受けた。
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今年1月。野球部OB約50人が練習を訪ねてきた。トレーニング室の入り口には、先輩たちが脱ぎ捨てたスリッパが散乱していた。
たかだかスリッパ。だが礼節を重んじる観点から、靴をそろえる球児は少なくない。道具を大切にする意味合いもあり、長野西でも大事にされてきた。背景にはそんな事情があった。
中学時代。大槻寛監督(37)率いる長野西は関の憧れだった。5歳上の兄が当時部員。誰もが表情豊かに率先して練習に臨み、ボールに向かっていく。そんな態度は当時、まだ中1の関には輝いて見えた。
印象的な場面がある。練習を見学した時のこと。グラウンドの部員に、大槻が「ものすごい勢い」で怒った。だが部員たちは下を向かず、大槻の指摘を踏まえた互いの問題点を意見し合っていた。「自分もこの監督さんの下でなら、成長できる」。進路を長野西にしぼって入学。心身ともに充実した生活を送ってきた。それでも身につけたことは卒業後、忘れてしまうものなのか――。そんな葛藤がその後、チームを動かす原動力となった。
数週間後、チームはミーティングを重ねていた。議題は「自分たちが大切にしてきたものは何か」。議論は計50時間に及んだ。開始前にはフィールドワークも実施。人と接する時に大事にすべきことを学ぶために旅館の接客係を体験したり、野球ができる幸せを再確認しようと東日本大震災の被災地を訪れたり。中には集中力を高めようと、滝行に出かけた部員もいた。
結果は「人生において目指し続けるもので土台となるもの」としてまとめた。「礎(いしずえ)」と銘打って紙1枚に書き込まれ、同校での生活を「手段」と位置付け、大事にするものに「ありがとう」「愛」を挙げた。「野球」「甲子園」は出てこない。大槻は「彼らは人生で普遍的に大切なものを見つけ出した」と説明する。
礎はチームに浸透。マネジャーの平井咲帆(さきほ)(3年)は「基本を確認したので、指摘がしやすくなりました」。練習準備をした下級生に上級生が感謝を伝えなかった時には、「あの50時間は何だったんだと、かなり怒りました」という。
変化は試合でも。6月上旬、石川県での対外試合。一塁走者の渡利康生(3年)が牽制(けんせい)球でアウト。「セーフだろ」と言う渡利に、関は「言い訳すんじゃねえよ!」。渡利は「すまん!」と返すと、その後はいつも通り。大槻は「互いを本気で認め合っているから、傷のなめ合いにならなかった。互いの信頼関係あってこそ」と言う。
「礎」に費やした時間について関は「練習よりも価値のある時間だったと思う」と振り返る。その上でこんな気持ちで大会に臨む。「スリッパをそろえたからといって、ヒットが打てるわけではないとは思う。でも、冬から積み重ねた成長が試合につながると信じて、頑張りたい」=敬称略(里見稔)