狭山経済(埼玉県狭山市)の野球部員はいつも、部室のドアに掛けられたユニホームと帽子を見上げる。黙禱(もくとう)を捧げた後、それぞれの決意を胸にグラウンドに散っていく。
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昨年8月19日。夏休み中の朝だった。入間市の横断歩道を自転車で渡っていた堀内宥希(ゆうき)君(当時1年)が乗用車にはねられた。学校での練習に向かう途中だった。
事故の直後、大沢承慶(しょうけい)君(2年)が偶然、現場を通りかかった。「人が大勢いて、堀内が倒れていた」。近くには野球部のバッグが落ちていた。堀内君は一番仲がいい友だち。頭が真っ白になった。現場の救急隊員からは「意識不明」と告げられた。
「頼むから、死なないでくれ」。とにかく学校に行って、監督に知らせなければ。現場から学校までは自転車で5分。でも、足が震えて、ペダルをこいでも全然前に進まない。やっとの思いで学校に着き、泣きながら、岩田敦史監督(当時)に伝えた。
部室で全員が待機した。でも、願いは届かなかった。
誰にでも優しく、みんなに好かれていた堀内君。「体形が熊みたいで、帽子のつばや練習着には『くま』って書いていた。愛されていた」と大沢君。いつも、練習後のミーティングが終わると決まって、「ホリー、帰ろう」。事故の前日も一緒に食事をした。「じゃあね、明日ね」。そう言って別れたのが最後だった。
事故後の1週間、練習がなくなった。親に心配をかけたくなかったから、家ではなるべく元気でいたかった。でも、「切り替えられないし、テレビを見ていても笑えない」。最後に別れたのも、現場を通りかかったのも自分。「最後の最後に、自分に何かを残してくれたのかもしれない」。そう考えると、少しは気持ちが楽になった。
練習が再開された8月末、主将の関谷尚由(なおよし)君(3年)が部員に告げた。「落ち込む自分たちを、本人は望んでいない」。切り替えて、野球をやる。一人ひとりの意識が変わった。
キャッチボールやティーバッティングなど「当たり前」のことばかりだった自主練習では、それぞれの課題に積極的に向き合った。「堀内のために」と、冬場の体作りでは手を抜かずに自らを追い込んだ。
今春の県大会地区代表決定戦。円陣には堀内君のユニホームと帽子も加わった。サヨナラ勝ちで8年ぶりの県大会出場を決めた。堀口純監督(28)は「自然と自分たちから積極的にやるようになった。チームは、彼に一勝を届けたい気持ちがあった」と話す。
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練習前の黙禱は、大沢君たち2年生が引退するまでは続ける約束だ。「春は堀内がくれた運が味方して勝てたと思う。もし天国があるなら、そこから力をくれたのかなと思って」。大沢君は背番号5。「夏は、堀内とともに」。目標はベスト16進出だ。