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震災避難の女子部員「ベンチで一緒に」 仲間はここにも

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2019-7-11 10:57:33  点击:  切换到繁體中文

 

南稜(埼玉県戸田市)の青柳桃子さん(3年)は、6月初旬の練習試合で他の部員より一足早く、引退の区切りをつけた。「実際の試合の展開が早くて、ついていくのに精いっぱい」。今は、記録員として埼玉大会でベンチ入りするためのスコアの勉強に励む。


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父・信幸さん(54)の仕事の都合で引っ越した福島県南相馬市で生まれた。信幸さんは埼玉出身で、南稜野球部の1期生。青柳さんも野球がずっと好きで、小3からスポーツ少年団で野球を始めた。


4年生への進級を控えた2011年3月11日、東日本大震災が起こった。


あの日は学校にいた。大掃除で廊下に机を出していて隠れる場所がなく、教室の真ん中にみんなで集まった。自宅もぐちゃぐちゃで、晩ご飯のカップ麺を食べながら「これからどうなるんだろう」と思った。


自宅は原発から30キロ以内にあり、戸田市の祖母の家に避難。そのまま埼玉に移り住んだ。福島のチームメートや、幼なじみとは離ればなれになった。


小5の終わり。信幸さんの職場の後輩が指導する少年野球チームの人数が足りず、急きょ、友だちを誘って参加することになった。


久々にグラウンドを駆け回り、指導もしてもらった。慣れない環境で男子に混じって野球をすることは「きつかった」から、埼玉に来てからは野球から離れていた。たまに、信幸さんとキャッチボールをする程度だった。「やっぱり野球は楽しい」と思った。


「野球がうまくなりたい」。教わったことが試合でできたらうれしい。その気持ちは今も変わらない。「男子の中でプレーして、技術を高められたら」。高校は、信幸さんの母校・南稜を選んだ。


「福島で、あの頃のみんなと野球を」という思いもなかったわけじゃない。当時の仲間のインスタグラムを見て、「どんな選手になっているかな」「どこを守っているかな」と、いろいろな想像を膨らませる。


そのうちの3人は、選手やマネジャーとして福島で野球を続けている。震災後、全然会えていない。「引退して時間ができたら、集まろう」。そんな約束をした。


自分は公式戦には出られないし、男子との体力差も感じる。でも、頑張れたのは福島の仲間の存在があったからだ。「会えた時、野球の話ができたらいいなと思って」



女子プロ野球選手を目指す青柳さんは、軽やかな守備が持ち味の二塁手。主将の内堀堅介君(3年)は、小5で野球を再び始めたときのチームメートで、高校で再会した。内堀君は「たった一人の女子選手。誰よりも頑張っている」とたたえる。


「野球をやっている姿、かっこいいです」。青柳さんは南稜の仲間も好きだ。最後の夏に悔いは残したくない。「グラウンドの中では戦えないけれど、ベンチで一緒に。全員で、笑顔で終わりたい」



 

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