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四川大地震から丸12年 悲しみを乗り越え今を大切に

作者:佚名  来源:人民网   更新:2020-5-12 16:17:55  点击:  

四川大地震から丸12年を迎えた5月12日は、12回目の中国全国防災減災デーでもある。人民網が各社の報道をまとめて報じた。


2008年5月12日、午後2時28分4秒、四川省■川県(■はさんずいに文)でマグニチュード(M)8.0の大地震が発生し、約7万人の命が奪われた。あの年、多くの人が、「明日と不測の事態のどちらが先に来るか分からない」ということをようやく身をもって認識するようになった。



2008年5月14日、■川地震で負傷した男の子(撮影・鄒憲)。



2008年5月16日、地震で家屋が倒壊し、泣き崩れる■川県映秀鎮の男性2人(撮影・盛佳鵬)。


そしてあの年、私たちは身の危険を顧みずに救援のために奮闘する人々、互いに支え合う人々の愛をもこの目で見ることになった。


大地震発生後、十数万人もの救助隊が要請に応じて被災地に入った。



2008年5月17日、■川県映秀鎮で、負傷した村民をヘリコプターで病院に搬送する解放軍の兵士ら(撮影・郭国権)。



2008年5月19日、北京市の天安門広場で地震の犠牲者に黙とうする追悼式が開催され、右手を高く突き上げて故郷にエールを送る四川省出身の男性(撮影・富田)。



2009年1月2日、我が子をおんぶし、解放軍が家屋の再建のために無料で提供したレンガの前に立つ北川県の女性(撮影・賈国栄)。


■川、北川、青川、綿竹、什▲(▲は方へんにおおざと)、都江堰などの地名は、あまり知られていなかったところも以前から有名だったところもあるが、この大地震がきっかけで1つに関連付けられるようになった。あれから12年が過ぎ、地震で破壊され廃墟と化した所にも緑が茂り、ビルが立ち並び、当時満身創痍だった被災地は活気を取り戻している。



2009年9月2日、他校の校舎を借りて登校を再開した■川映秀小学校の小学生約100人(撮影・劉忠俊)。



2012年10月30日、再建がほぼ終わり、パンダ18匹が戻ってきた四川臥龍中国ジャイアントパンダ保護研究センター(撮影・衡毅)。



2018年3月22日、上空から撮影した四川省徳陽綿竹市清平鎮。同村は既に「生態観光村」になっている(撮影・劉忠俊)。


ここで、被災地の震災前と震災後の衛星画像を見てみよう。



■川県映秀鎮



北川県



綿竹市漢旺鎮



生き残ったからには、生き生きと日々を送らなければならない。大地震を実際に体験した人々は、実際の行動で、「一度きりの人生だからこそ、たゆまず努力していくべきだ」と教えてくれている。



地震で左手を失いながらも、絵の教師・阿旦さんの指導の下、絵の練習をする雍茜さん(2014年8月15日撮影・陳超)。



地震で左手を失い、スマート義手を装着してパソコンを操作する馬元さん(2018年5月10日撮影・劉忠俊)。


「5・12」四川大地震から丸12年。ともに犠牲者を追悼し、被災地の再生に敬意を!


「人民網日本語版」2020年5月12日


 

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