幼児3人が死亡した福岡市の事故を機に、飲酒運転追放の機運が高まっている。何の落ち度もないのに事故に巻き込まれ、幸せな暮らしを台なしにされた被害者や遺族の無念さや悲しみは、限りもない。加害者にとっても、安易な運転の代償は大きい。この際、飲酒運転への寛容さや認識の甘さを一掃し、運転する以上は絶対に酒を飲まない、とのルールを確立し、二度と悲惨な事故を起こさせないようにしたい。
飲酒運転に対しては、東京・世田谷の東名高速で99年、幼い姉妹が焼死した事故を機に厳罰化が叫ばれ、01年の刑法改正で危険運転致死傷罪が新設された。翌年には道路交通法の改正で酒気帯び運転の規制が強化された。その効果は大きく、飲酒運転による事故は激減したが、のど元を過ぎて熱さを忘れたか、3年前から抑止効果にはかげりが生じている。昨年も飲酒運転の検挙件数は約14万件を数え、死亡事故の9件に1件が飲酒運転によるものだった。
切実な問題は、ひき逃げの増加だ。昨年は2万件近くに達し、10年間で約3倍に増えている。厳罰化の影響で、飲酒運転がバレるのを恐れたドライバーが、被害者を救護せずに逃走するためだ。いち早く手当てを受ければ助かる命まで失われているのだから由々しき事態だが、法定刑のアンバランスが災いしている面も見逃せない。それというのも、酒酔い運転で死傷事故を起こし、危険運転致死傷罪を適用されれば最長で懲役20年に処せられるのに対し、逃走中に酔いが覚めて飲酒運転が立証されずに済めば、業務上過失致死傷罪とひき逃げの罪を加えても7年6月以下の懲役で済むからだ。
危険運転致死傷罪には、過失犯なのに故意犯より刑が重くなるため刑罰体系を混乱させるとの批判があったが、厳罰を求める声に押し切られて導入を急いだ経緯がある。また、時間がたつほど「正常な運転が困難な状態」の証明が困難になり、適用は容易でない。しかも事故後に「重ね飲み」して証拠を隠滅する不届き者も現れている。いずれは量刑を含めた見直しが必要だろうが、急務は“逃げ得”を許さぬための対策だ。
飲酒運転を犯罪ととらえて憎み、ドライバーには一滴の酒も許さないとの共通認識を、みんなで持つことが何よりも大切だ。酒気帯びを呼気のアルコール濃度で判定する道路交通法の規定も、少量の飲酒を認めていると映る分、手ぬるいと言わざるを得ない。酔いの個人差も踏まえ、運転前に少しでも飲酒していれば、飲酒運転ととらえるべきではないか。
飲酒運転で検挙された職員の処分を厳格化させる地方自治体が相次いでいるのは、歓迎すべき動きだ。公務員の違反が目立つ上に、民間への影響の大きさを勘案すれば、官公庁が飲酒運転対策を率先すべきは言うまでもない。警察は、飲酒を勧めた者や同乗者にも従来以上に厳しい姿勢で臨むと共に、検問を強化してほしい。尊い犠牲から生まれた機運を逃さず、飲酒運転を撲滅したいものだ。
毎日新聞 2006年9月12日