織田信長の安土城(滋賀県近江八幡市)などの石垣を造った石工集団、穴太衆(あのうしゅう)の伝統技術が海を渡る。自然石を利用した石積みの美しさと堅固さが特徴だが、近年は国内での需要に陰りもみえる。技術を現代に継承する業者が活路を見いだすべく積極的に海外で行ってきたPRが実り、米国から初の注文を受けた。
「石がどこに行きたいかを教えてくれる」。穴太衆の系譜を唯一受け継ぐ粟田建設(大津市)の粟田純徳社長(46)は話す。大津市の日吉大社の石垣修繕現場で、数ある石を一つ一つ手に取って「声」を聞き、計算されたかのようにピタリとはまる行き先を見極め、積み上げる。
「穴太衆積み」と呼ばれる技術は個々の石それぞれが振動を吸収して揺れを抑え、地震や風雪に強いのが特徴。信長が延暦寺焼き打ちの後、残った石垣の堅固さに感心し、安土城の石垣を任せたとされる。その後、各地の築城に関わり、技術は豊臣秀吉が築いた大坂城(現・大阪城)や名古屋城などで用いられた。
粟田建設は城の修復工事のほか、石垣を取り入れた高速道路の護岸壁や現代建築の仕事も受注している。しかし、粟田さんは「今は安ければ良いという時代になっている。仕事の方は年々減るばかり」と伝統継承に危機感を抱く。
技術を記した書物はなく、師匠から弟子へと口伝されてきた。職人の世界では技術を同業者に教えることを嫌がる人も多いが、粟田さんは「情報交換が必要」と、希望する造園業者や大工など数十人に積み方を教えてきた。近年は海外の技術者からも依頼を受け、米国やドイツで石垣造りの講習会を開催している。
2010年に米カリフォルニア州で開いた講習会で、石垣を見た日系人女性が「子供のころの光景と同じで懐かしい」と涙を流した。「国内で当たり前のものも海外では感動を与えられる」と新たな可能性を感じた。
14年8月、米西部シアトルの日本庭園で開催した講習会では一般の人も参加し、約3週間で石垣を完成させた。近代的に加工した石を積む米国の方法とは違い、自然の形で積み重ねた技術に「英語にはない『わびさび』を感じ取ってもらえた」と振り返る。
PRが功を奏し、昨年海外から初めて仕事を受注した。米西部ポートランドの財団が管理する日本庭園の拡張工事で、石垣を造る予定だ。
粟田さんの祖父は人間国宝で、父も「現代の名工」に選ばれているが「将来的に仕事が増えるとは期待できない。だから海外にも行き、需要を開拓しなければ」。先代や先々代が手を付けなかった技術伝授や海外進出で新たな挑戦を図る。
▼穴太衆積み 石工集団の「穴太衆」による石垣の積み方。穴太衆のルーツは古墳時代の渡来人という説もあり、現在の大津市坂本穴太地区に住み着き、比叡山延暦寺の石垣建設に動員されたという。大小の自然石を巧みに組み合わせて築く技術で、戦国時代から竹田城(兵庫県朝来市)や高知城(高知市)など全国の名城で用いられた。粟田建設によると、コンクリートブロックとの比較実験では200トンの荷重でコンクリートが崩壊したのに対し、250トンでも崩れなかった。