昭和初期に米国から親善の証しとして日本に贈られ、その後、大部分が失われた「青い目の人形」を通して、子供たちに平和の大切さを伝える活動を松山市の団体が続けている。今年は人形の来日から88年の「米寿」となる。お祝いと風化防止のために多くの取り組みを企画している。
人形は1927年に約1万2千体が贈られ、全国の幼稚園や小学校などが保管していた。しかし太平洋戦争中に多くが破壊され、現在確認できるのは約300体にとどまる。
同じ27年には日本からも答礼として、実業家の渋沢栄一が中心となって全国から集めた市松人形58体が米国に贈られた。愛媛県からの人形はミシシッピ州のガルフポート公立図書館が保管していたが、ハリケーンで流失。松山市の「日米人形交流実行委員会」代表の田中安子さん(66)が募金を呼び掛け、88年に2代目の人形を寄贈した。
しかし、その後のハリケーンで2代目も流失した。同委員会は今夏、会員の日本画家、岸本章子さん(73)が初代と2代目の愛媛県からの人形を描いた絵を「変わらぬ友好の証し」として図書館に贈るという。
また、同委員会は今月、青い目の人形の塗り絵展を松山市で開催。幼稚園や小学校などに呼び掛けて集めた塗り絵を並べて展示し、人形が到着した時の様子を再現した。
田中さんは「88年前に人形を通して遠い国と友好を築いた人々の思いを知ってほしい」と話している。〔共同〕