近藤瞳さん(左)は、1歳の瑠星(りゅうせい)くんら家族5人で中学校のグラウンドに避難した。「屋根のある場所は怖い」と車中泊を続けて4日目になる。余震の恐怖と体の痛みで1時間ほどしか寝られないという=17日午後10時33分、熊本市中央区の西山中学校、細川卓撮影
熊本地震で大きな被害が出た熊本県益城(ましき)町に、避難者が次々と集まっている。広い駐車場を備えた施設が2カ所あり、余震が続く中、建物内に入るのを敬遠した人たちが車中泊するためだ。町が指定する避難所ではなかったが、「避難所」として扱われるようになった。だが、物資は届かず、避難者の疲労は募る。
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益城町は熊本市の東隣にあり、20人が死亡するなど、大きな被害が出た。
多くの人が集まっている施設の一つは、益城町福富の大型展示場「熊本産業展示場」(グランメッセ熊本)。2200台分の駐車場があり、夜は避難者らの車で埋め尽くされる。自衛隊の給水が始まれば、長蛇の列ができる。
町地域防災計画で指定された避難所のうち使われているのは9カ所だが、地震発生後、大きな駐車場があるこの展示場と、熊本空港に近い「阿蘇熊本空港ホテルエミナース」の2カ所に車がどんどん集まり、町は避難所として扱うようになった。町の人口は約3万5千人だが、18日午前7時現在、町内には約9100人が避難しており、そのうち半数を超える約5千人がこの2施設に避難する。
グランメッセはイベントや会議を開く施設で、県が所有し、民間が運営。避難者が増えたのを受け、町職員が5人態勢で対応しているが、避難者名簿もなく、人数は車の台数からの推定だ。多くは町外の住民とみられる。17日の発表では1万人だった。
当初は施設内も開放していたが、16日未明の「本震」でスプリンクラーが誤作動。窓ガラスが割れ、天井も崩れ落ちた。屋内は危険と判断され、立ち入り禁止になった。ドアに鍵がかかり、フロアには粉々になったガラスやがれきが散乱したままだ。
それでも、車は減らない。3歳の長女をあやしていた熊本市東区の女性(35)は「いつ大きな地震が来るか不安。人が多い所の方が安心する」。避難者は日中は食料の買い出しや片付けなどに出かけ、駐車スペースにペットボトルや自転車を置いて場所取りする人もいる。18日朝、段ボールで場所取りをしていた熊本市東区の荒金真弓さん(38)は「ここにいると周りの人から情報が入るかもしれないので」と話す。
ただ、支援物資は滞りがちだ。自衛隊が17日、水を配ったが、ペットボトルなどを持つ親子連れや高齢者が長蛇の列をつくった。ポリタンクを持った益城町の伊東いく子さん(66)は「もう2時間近く待っています」。
公的な食料支援は15日夜に150食分が届いただけ。ラーメン店などのボランティアが食料を振る舞う際は、子供たちが笑顔で集まってくるが、数は多くて1千食分で、全員には行き渡らない。展示場の担当者は「炊き出しの支援が来たとしても、人員不足で案内ができない。かえってトラブルになりかねない」と困惑する。
もう一つの指定外の避難所「阿蘇熊本空港ホテルエミナース」も、16日から近隣住民らの受け入れを始め、町から17日、避難所にするとの連絡があった。
プールや温泉を持つ35室の民間の複合宿泊施設で、17日時点で約2千人が避難。このうち屋内に入っているのは約200人で、約1800人は駐車場やグラウンドにいる。総支配人代理、橋之口茂さん(46)は「2千人分の食事を安定的に供給できるか不安だ」と漏らす。町からの支援がなかった16日昼は、企業が提供してくれたパンを1人1個配布。夜は町から炊いた米が届いたが、食器が割れて提供できなかった。運営もボランティアを中心に動き始めているが、町職員が初めて必要な物資の聞き取りに来たのは、17日昼すぎだった。
今回の地震では避難者が想定の7200人を超え、指定外の施設に頼る形になっている。町の担当者は「当初は指定避難所に職員を優先して配置していたが、18日以降は増やす」と話した。