地震発生直後から益城町平田地区を回った研修医の岡崎幸治さん(右)=4月19日、熊本県益城町、福岡亜純撮影
震度7の地震に2度襲われた熊本県益城町で、物資も医療支援も届かなかった平田地区を、発生直後から支えた研修医がいた。重症者に診察を受けるよう勧め、足りない物資を募ってきた。研修先の山形県に戻ったが、「これからも、できることを一緒に考えていきたい」と話している。
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熊本地震 災害時の生活情報
「体調、お変わりないですか」。7日昼、益城町の平田地区。熊本市出身の研修医、岡崎幸治さん(26)が体をかがめ、家の軒先で90代の男性に話しかけた。「大丈夫、足がはれているくらい。お風呂にも入れるようになったよ」。男性が応じた。
男性は地震の発生直後、家が倒壊する危険があるからと屋根付きのガレージに畳を敷いて生活していた。今は近くの息子家族のもとに身を寄せる。岡崎さんは「元気そうでよかった」とほっとした表情を見せた。
中学まで熊本市で育った岡崎さんは、東京大学の医学部を卒業。現在は日本海総合病院(山形県酒田市)に勤める。故郷の役に立ちたいと、院長や指導医の許可を得て、本震翌日の4月17日、鹿児島空港からレンタカーで熊本に入った。
2011年の東日本大震災では、医療支援が届かなかった場所があったことが頭に浮かんだ。「同じような場所があるはず。早く見つけて何とかしたい」。避難所を訪ねるうちに、益城町の平田地区に支援が届いていないと聞いた。
18日夜に車で駆けつけ、目に入ったのは、公民館の駐車場や広場などで、多くの高齢者が車中泊をしている姿だった。「エコノミークラス症候群のリスクの塊だ」。しかも、人手も物資も足りていなかった。
国家試験に合格した医師には2年間の臨床研修が義務づけられ、研修医は指導医の下でしか医療行為は認められていない。それでも、翌日から車中泊の高齢者を中心に声をかけた。
心筋梗塞(こうそく)の病歴があり、足にむくみがある男性には医療機関への受診を進言。歩行がおぼつかない女性にはケアマネジャーへの連絡を勧めた。さらに「自分の強みは発信力」と、支援が届いていない状況をフェイスブックで発信し続けた。
そのかいあってか、次第に各地から物資が届くように。寝泊まりや女性の着替えに必要なテントが新潟から送られてきた。知り合いを通じてJMAT(日本医師会災害医療チーム)にも、平田地区に来るように求めた。
結局、実家がある熊本市内から平田地区に通ったり、現地で車中泊をしたりと滞在は初日も含めて11日間。地元の人から信頼されるようになり、「本当のニーズが分かるようになった」と振り返る。
いったん山形県に戻った後、5月7日に平田地区を再訪した。車中泊は大幅に減っていた。「物資は足りても食が偏れば健康によくない。生活の基盤を失われた人も多く、今後が心配だ」と話す。
山形県で研修を再開した岡崎さんは「病院からしか医療を見ていなかった」と自身を振り返る。「患者さんにずっと寄り添う医師になりたい」と前を向く。(岩田智博)