堀内光雄・元通産相
通商産業相や自民党総務会長などを務めた元衆院議員の堀内光雄(ほりうち・みつお)さんが17日、間質性肺炎のため東京都内の病院で死去した。86歳だった。関係者が明らかにした。
富士急行(本社・山梨県富士吉田市)の社長を経て、1976年衆院選で旧山梨全県区から初当選。89年に宇野内閣で労働相、97年に第2次橋本改造内閣で通産相に就任。2001~04年に党総務会長を務めたが、09年衆院選で落選した。当選10回。
党内ではリベラル派とされる「宏池会」に所属。00年、当時の会長だった加藤紘一氏による「加藤の乱」で派閥が分裂した後、反加藤グループを率いて堀内派(現在の岸田派)を結成。「保守本流」を掲げる派閥の立て直しに努めた。堀内詔子衆院議員は長男の妻。