平和記念公園から出るよう呼びかける警察官=27日午前11時56分、広島市中区、金川雄策撮影
慰霊碑の前で手を合わせる人。71年前の核の惨禍を学びに来た人……。いつもの朝を迎えた27日の被爆地・広島は夕方、歴史に残る一ページを刻む。原爆を投下した米国の現職大統領による初めての被爆地訪問。被爆者らはさまざまな思いを巡らせ、そのときを待った。
特集:オバマ大統領広島へ
首脳らの動き、タイムラインで
午前8時15分。広島市中心部の平和記念公園にチャイムの音が響いた。1945年8月6日、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」から投下された1発の原子爆弾が600メートル上空で炸裂(さくれつ)し、多くの市民が殺傷された時間。長い歳月、その音は被爆地に刻まれてきた。
「特別な日だから」と語る男性が公園のそばを流れる元安川沿いにいた。上田道明さん(73)=広島市。毎年8月6日の午前8時15分に手を合わせているが、オバマ大統領が来る今日は足を運んだ。「核廃絶がスタートする日になってほしい」。上田さんは原爆ドームに向かい、目を閉じた。
平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑には、何年も来ていなかったという女性がいた。主婦の高浜秋江さん(65)=広島県廿日市(はつかいち)市。原爆投下時に広島にいた母は90歳だった昨年12月に亡くなった。生前の母は多くを語らなかった。「原爆を受けたことで、いろいろな思いをためこんだ人生だったと思います。オバマ大統領には『二度とこんな悲惨なことを繰り返してはいけない』と世界に伝えてほしい」
慰霊碑から約300メートル離れたところにある原爆供養塔には、ボランティアガイドの中前琢磨さん(73)=広島市=がいた。10歳年上の従兄(いとこ)は13歳だった71年前に市中心部で行方不明になったままだ。供養塔には引き取り手がいない約7万人の遺骨が納められている。「親戚が何日も捜し回ったが、遺体さえ見つからなかった。この塔に納められていると信じています」
中前さんはこの日、平和記念公園内で愛知県から来た高校生を案内し、午後は遠くからオバマ大統領の訪問を見守るつもりだ。
午前9時前、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員の一人、坪井直(すなお)さん(91)が平和記念公園に姿を見せた。「爽快な朝」。記者団にオバマ大統領に望むことは何かを問われ、こう力を込めた。「(広島平和記念)資料館を見て、被爆者の話を聞いて、人類が核兵器を作ったことが間違いだったという現実を知ってほしい」
■中心部、警備を強化
テロ対策のため、27日の広島市中心部は警備が一段と強化された。
広島県警は11都府県警の応援を得て、計約4600人態勢で警戒。オバマ大統領が訪れる平和記念公園は正午から立ち入りが制限され、公園内の広島平和記念資料館は午前11時半に入館が打ち切られた。午前8時半の開館を待っていたブラジル人のディルセウ・トニさん(67)は「オバマ大統領には『強い意志を持ち、仲間を作ってよりよい世界を』と言いたい」と話していた。
午前10時半ごろには原爆ドーム近くの相生橋の脇で二十数人の機動隊員が整列し、公園の封鎖に備えた。午後には公園につながる道路を中心に100カ所以上で検問が実施される。広島電鉄はオバマ大統領の訪問に伴う一連の行事の間、停留場「原爆ドーム前」に止まらないことを決めた。
■在韓被爆者訪れ献花
平和記念公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前では27日午前、韓国から来た広島の被爆者5人と支援者らが花を手向けた。一行はオバマ大統領の広島訪問に合わせて26日に来日。大統領に韓国人の慰霊碑にも足を運ぶよう求めている。
2歳の時に被爆した沈鎮泰(シムジンテ)さん(73)は「大統領は米国が多くの民間人に対して原爆を落としたこと、安倍首相は(かつて)日本が戦争を起こしたことを謝罪してほしい」と語った。