親しくしている被爆者、城臺(じょうだい)美彌子さん(左)と長崎市の爆心地公園を歩く松永瑠衣子さん(C)2015ソネットエンタテインメント/AMATELAS
原爆と原発は何が違うんだろう――。そんな疑問を胸に長崎市の「被爆3世」の若者が、原発事故の影響を受けた地域や、建設中の核燃料再処理工場がある土地などを歩いた。その様子を伝えるドキュメンタリー映画「アトムとピース~瑠衣子 長崎の祈り~」が18日から東京都渋谷区で上映される。
特集:核といのちを考える
原発事故で住民の避難が続く福島県浪江町や、使用済み核燃料の再処理施設を建設中の青森県六ケ所村、大間原発を建設中の同県大間町――。長崎市の小学校非常勤講師、松永瑠衣子さん(24)がこれらの町を旅し、人と出会う。
故郷を離れざるを得なかった人を思って悲しみ、核燃料の再処理について学び、長崎原爆と比べものにならないほどのプルトニウムが国内にあることを知り、怒りを感じる。
松永さんの目線を通し、映画が問うのは「原子力の平和利用」の功罪だ。広島、長崎に原爆が落とされた第2次大戦の後、「アトムズ・フォー・ピース」の言葉のもとで原子力発電が進められた。映画では、原発事故や原子力政策にかかわった国内外の関係者や専門家へのインタビューも織り交ぜ、平和利用の歴史や現状をひもとく。
監督で元NHKディレクターの新田義貴さん(46)は、世界で唯一の戦争被爆国である日本が原発を受け入れたことに疑問を持っていた。多量のプルトニウムを保有することが潜在的な「核抑止力」となると語る人がいることも、おかしいと思った。「原爆と原発はつながっている」。被爆者の苦しみを知る若者に考えてほしいと思い、松永さんに出演を依頼した。
松永さんは祖母が被爆者。高校1年の時に語り部の話を聞き「被爆者の思いを受け継ぎたい」と思うようになった。そして、大学1年の時に起きた福島第一原発事故。「自分が生きているうちにヒバクという言葉を聞くことになるとは……。日本人は何を学んできたんだろう」と思った。
福島の子どもたちを長崎にキャンプに招く活動に被爆者とともに参加し、2012年には福島県いわき市も訪れた。子どもたちが避難先でいじめを受けたという話を聞き、心を痛めた。
昨年の撮影での旅を通し、松永さんの心に深く刻まれたのは、青森・大間での出会いだ。原発の敷地を囲うフェンスに挟まれた道を抜けるとログハウスがあった。用地買収を拒んだ女性が建てたもので、女性の娘の小笠原厚子さんが自給自足の生活をしていた。「原発は事故が起きれば命をむしばむもの。対して、そこでは命が育まれていた」
映画の終盤、松永さんは日本の原子力政策を進めてきた元科学技術事務次官、伊原義徳さんと対話する。「注意して使えば有用なエネルギー源と思っている」。そう語る伊原さんが日本のためを思って原発を推進したことは理解できた。だが、自分は自然とともに生きる生き方を選びたいと思い、伊原さんにもその思いを告げる。
映画は18日から渋谷区のシアター・イメージフォーラムで。松永さんは「特に若い人たちに、これからの日本をどうしていくかを考えてほしい」と来場を呼びかける。
もともと祖母は被爆のことを語りたがらなかったが、映画を機に、原爆投下前に爆心地付近に住んでいたことや、食料が不足した戦後の苦労などを語ってくれた。長崎市でも10月に上映される。(岡田将平)