開会式を前に笑顔を見せる辺土名の伊是名(いぜな)主将(左)=18日午前8時30分、那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇、上田幸一撮影
全国のトップを切って18日に開幕した高校野球の沖縄大会。午前9時からの開会式では、3年ぶりに復帰した辺土名(へんとな)のメンバー10人が、3日前に届いたばかりの真新しいユニホームを着て元気よく行進した。伊是名(いぜな)良平主将(3年)は最初で最後の夏に挑む。
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辺土名は那覇市内から車で約2時間の大宜味(おおぎみ)村にある唯一の高校。現在生徒数約130人の小さな県立高校に全国の注目が集まったのは2002年春だった。
前年秋の九州大会で熊本の強豪・九州学院と大接戦を繰り広げ、翌春の選抜大会では九州地区の「21世紀枠」の候補に挙がった。その春は新入部員を含めると総勢50人以上の人気の部活となった。
だが、その後は低迷。13年夏を最後に部員不足から休部状態になった。
小学校から野球を始めた伊是名君は、当然、高校でも続けるつもりだったが、入学した14年春、辺土名に野球部はなかった。
翌春、野球をやりたくてうずうずしていた時に「野球部をつくろう」と呼びかけてくれたのが、赴任してきたばかりの高良耕平先生(34)だった。「左利きの捕手と三塁手」といった型破りな野球で00年夏の甲子園に旋風を巻き起こした那覇で主将だった。「自分も野球で育ててもらった。恩返しがしたかった」
伊是名君ら5人で同好会を立ち上げた。だが、その夏の大会には出られず、3年生2人は引退した。
「大会にも出られないのに」。同級生は練習に来なくなった。だが、伊是名君はやめなかった。「3年の夏まで続ける」という高良監督との約束があった。監督と2人での打撃練習、1人だけのティーバッティングを伊是名君は黙々と繰り返した。そんな姿を見て同級生も戻ってきた。
3年生となった今春、積極的に新入生に声をかけた。軟式経験があると聞けば「当たれば飛距離が全然違う」と硬式の面白さを説いた。美術部の友人がポスターをつくってくれた。そして新入生が入部。「伊是名のために」と入ってくれた同級生もいて、最終的に10人がそろった。
アルバイトと掛け持ちの子がいて練習に全員が集まれない。野球初心者がいるため、基本的な練習も必要だ。急ごしらえのチームだが、いつも笑いが絶えず、チームワークは抜群だ。
隣村でスポーツ店を営む比嘉三浩さん(67)は「21世紀枠」で注目を集めた当時の監督。この10年余り、「子どもも減って、低迷していくのをただ見ているしかなかった」という。それだけに野球部の復活を誰よりも喜ぶ。仲間とお金を出し合い、部員たちに食事をごちそうしたり、野球道具を贈ったりして支える。
辺土名は19日に登場する。伊是名君は丸刈りにして気合を入れた。「思い出づくりではない。出るからには全力で戦い、地元の思いに応えたい」(井石栄司)