結婚した夫婦が、別姓を選ぶことができる「選択的夫婦別姓」。この20年、男女平等の機運が高まる中、政府が法案を国会に提出しようとするたびに、日本会議は大規模な反対運動を繰り広げてきた。
伝統的な家族を重視する日本会議は、2010年9月に事務総局が改訂した冊子で、夫婦別姓によって親子が別姓になり、「子どもが先祖からつながる『タテの流れ』から遮断されてしまう」としている。
最初の反対運動は、法制審議会(法相の諮問機関)が民法改正案の要綱を出した1996年だった。
「婚姻改姓」を経ない別姓夫婦にとって、結婚は単なる男女の野合に近くなります――。日本会議の前身の一つ「日本を守る国民会議」は、こんなチラシを配り、首相や法相に反対の声を送るように呼びかけた。
同じ年、「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」も結成された。朝日新聞が入手した当時の呼びかけ人名簿には、伊藤哲夫・日本政策研究センター代表、高橋史朗・明星大学特別教授、百地章・日本大学教授も名を連ねる。3氏は現在、いずれも日本会議の政策委員だ。
■消極的な記述に
翌年、日本会議が発足。反対運動も引き継がれた。
2001年、国の世論調査で夫婦別姓への賛成が反対を初めて上回り、再び法案提出の可能性が高まった。日本会議は「日本女性の会」を結成。事務総長の椛島有三氏は「第二ラウンドの戦い」と位置づけた。
その「戦い」の様子は、日本青年協議会などの機関誌「祖国と青年」(02年6月号)に掲載された椛島氏の記事に詳しい。
02年までに、日本会議は181万を超える署名を集め、自民党議員に反対を表明するよう働きかけ、189人の議員署名を集めた。その結果、「自民党内に45人いた『別姓推進派』から12人が脱退した」という。
日本政策研究センターの機関誌「明日への選択」(06年2月号)は、国の男女共同参画基本計画案にあった夫婦別姓の記述が、当初案より消極的になったとして、「意義深い修正」と評価している。
これが議論されていた05年、党幹事長代理だった安倍晋三首相は、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」の座長を務めていた。後に安倍首相は、高橋氏の対談集で、「男女共同参画基本計画については、約170カ所を修正し、正常化に努めました」と振り返っている。