チームメートと筋力トレーニングをする国際の奥村康太郎さん=東京都目黒区駒場2丁目、金居達朗撮影
「ごりら」「らくだ」「だ、だるま」……。放課後、国際のトレーニングルーム。3年の奥村康太郎(18)はチームメートと腕立て伏せで、腕を曲げた姿勢でしりとりをしていた。定番のトレーニングだ。
動画もニュースも「バーチャル高校野球」
2年少し前、憧れて、豪州から飛び込んだ日本の高校野球。きつく、逃げ出したい時もあった。でもいま思う。やっぱり高校野球をやってよかった――。
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「日本に帰る」。中3の夏、両親に切り出した。父親の都合でメルボルンで暮らし3年目のことだ。
小5の夏、甲子園で投げる花巻東の菊池雄星の躍動感あるフォームに釘付けになった。「こんな風に投げてみたい」。メルボルンに引っ越した中1の時、地元のチームに入った。
「ピッチング プレー」。片言の英語で投手をしたいと伝えると、コーチは笑顔で「OK」。左腕で夢中で投げた。チームメートは熱心に話しかけてきた。外国人は差別されるんじゃないか。そんな不安はすぐに消えた。
休みの日は衛星放送やネットで、高校野球の試合、ニュース番組をいくつも見た。球場を包む大声援や歓声にも、心が震えた。「日本にしかないブランドだ」
母恵子(49)は一緒に暮らしたいと望んでいた。でも最後は背中を押した。「自分で決めたのなら」
一人で帰国し、2014年春に国際に入学。祖母の家から通い始めた。
強豪校ではないが、すぐに規律と練習の厳しさにぶつかった。集合時間は厳守。準備を急がせようとする監督から「もっと早く」と言われると、怒られていると思い、萎縮した。
投手を希望したが、80キロの直球を投げると、笑われている気がした。800メートルダッシュとベースランニングのセット10本は、こなすのが精いっぱい。
周りは難なくこなしているように見え、会話にもなかなか入れない。自分だけ違うのか。家に帰ると涙が出た。「投手がしたい」なんて口にできなかった。
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1年後の春、練習試合で初めて登板する機会が訪れた。エースが打ち込まれ、他に投手がいなかった。
「アピールできるチャンスだ」。相手の声援は自分を応援していると思うぐらい、気持ちが高ぶり、思ってもいない力が出た。必死の形相で投げ三振をとればガッツポーズ。その姿に、立石健悟監督(30)は「これはいける」と確信した。
カーブやフォークを習得し、打たせて取る投球術も学んだ。投げる時は下半身を生かすこともわかった。
投手として自信をつけてきた昨夏、約1年間、部を離れていた同級生の投手が復帰した。「マウンドの座をとられるのはおかしい」。自分の方が力は劣るとわかっていたが、つい仲間に言ってしまった。復帰した同級生とは約1カ月、口をきかなかった。
でもせっかくの高校野球、みんなで楽しくプレーしたい。練習後、思い切って声をかけた。「ごめん。これからはみんなで頑張ろう」。同級生は「うん」と答えた。わだかまりなく野球ができると安心した。
夏の大会は背番号3をつけ、中継ぎになる。短い回でも全力でしっかり投げるつもりだ。「強くないけど、みんなでひとつでも多く勝ちたい」=敬称略(円山史)
■なぜ野球選んだ? 主将273人に聞く
東・西東京大会に参加する計273校の主将へのアンケートで、数多くのスポーツから野球を選んだ理由(複数回答可)を聞いた。「親や兄の影響」が最も多く92人。「甲子園に出たい」が35人。「2006年の早実VS.駒大苫小牧の試合を見て感銘を受けた」「13年の西東京大会を観戦して(準優勝の)日野から甲子園に行きたいと思った」など、高校野球へのあこがれも目立った。
「走攻守必要な難しいスポーツだから」のほか、「サッカーをしていたが、スーパーゴールでも1点。満塁ホームランなら一度に4点入る」というユニークな回答もあった。