1973年から京都・円山公園音楽堂で「宵々山コンサート」を永さんと一緒に続けてきたフォーク歌手の高石ともやさん(74)は「渥美清さんが最初のゲストで、小沢昭一さん、淀川長治さん、黒柳徹子さんと、毎年お友達を連れてきてくださって、豪華絢爛(けんらん)でした。一番大事なコンサートをずっと一緒にやってきた、頼りの人でした」と惜しんだ。
永六輔さん死去 放送界の草分け、マルチに活躍
特集:永六輔さん死去
最後に会ったのは昨夏。きたやまおさむさん企画のコンサートのステージに一緒に立った。「車いすで『しんどい』と言いながらも、昼と夜の公演をしっかり務めていらっしゃった。まだまだ元気なはずだと思い込んでいました」
「永さんは芸能界のパイオニア。テレビもそうですし、音楽もただのラブソングを超えて別の世界をつくった。『上を向いて歩こう』もそうです。フォークソングの立場からみたら、永さんが僕らの前をひらいてくれた」
こんなエピソードもある。著名人が亡くなり、永さんのもとに談話を求める電話がかかってきた。短く端的な言葉で答える永さんを見て、高石さんは「芸能人や有名人が亡くなったときのコメント、先に作ってるの?」と聞いたという。「まあね」という永さんに「ひょっとして僕が死んだときの用意もあるんですか?」と聞くと、「あるよ。『お客さんを歌わせると一番うまい歌手だった』」と返ってきた。「1行でスッと表現することができる人でした」
永さんはいつも「亡くなった人を惜しいとか残念とか言うな。やることやって亡くなったんだから、よかったよかったって明るく送らないと」と語っていたという。「きっと、弱気じゃなくて、強気のまま逝ったと思う。だから僕も強気で送りたい。生きている間は遠すぎて追いつけなかったけど、これからゆっくり、残りの人生をかけて、永さんを追いかけます」(松本紗知)