選挙戦最終日の夜、日の丸が振られる中、安倍晋三首相が演説した=7月9日、東京・秋葉原、迫和義撮影
参院選で語られた言葉、語られなかった言葉。人々にどう響いたのでしょう。作家・高橋源一郎さんが街頭演説の会場をまわって感じ取ったことは……。寄稿をお届けします。
特集:2016参院選
わたしは、長い間、どんな選挙でも投票に行かなかった。
なぜだったのだろう。そもそも政治家というものを信じていなかったのかもしれない。あるいは、政治にまつわる一切にうんざりしていたのかもしれない。しかし、当時のわたしに、その理由を訊(たず)ねても、はっきりした答えは返ってこないように思う。
20代前半、わたしは自動車工場で働いていた。そこには、いまの連合の、有力な労働組合があった。わたしは臨時工だったが、仲の良い同世代の正社員がいた。選挙が近づくと、組合員たちは、黙って選挙運動に従事した。彼はほとんど選挙に興味がなく、投票にも行かなかった。実際のところ、組合員たちも本心では興味がないように見えた。そして、彼は、よくこんなことをいっていた。
「誰が当選しようと知ったことかい。おれ、35年ローンで家を買ったんだ。一生奴隷が確定だ。あとは定年が来るのを待つだけ」
彼は、支援候補の「熱心な支持者」のはずだったが、心は遠く離れているように見えた。
選挙になると、わたしは、いつも「棄権する人たち」のことを考える。彼らは、多くの場合、どの政党よりも多い、最大多数派だ。彼らにも、あの頃のわたしと同じように、はっきりとした、棄権の理由はないのかもしれない。いや、「熱心な支持者」に見えて実は無関心な彼と、同じ気持ちを共有していたのかもしれない。
いまや、すっかり「いい子」になったわたしは、必ず投票にいくし、その理由も説明できる。だが、行かなかった頃の自分の気持ちは忘れないようにしている。
参院選が始まってから、各党や候補者たちが演説しているところへ出かけて、そのことばをていねいに聴いてみることにした。
大きな政党が主催する大きな集…