顔のけがから復帰後、智基は、初めてマスクをかぶってボールを受けた=5日、奈良県五條市、高橋雄大撮影
「写真撮らせて」。声をかけてきたのは見知らぬおじさん、おばさん。電車に乗ったら姿勢を正さなきゃ。けんかに巻き込まれたら嫌やな。なかなか寮から出られなくなった。春の選抜大会で優勝してからの日常だ。窮屈だけど問題ない。もう一度、頂点を味わいたいから。
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3月末、智弁学園高校(奈良県五條市)の岡沢智基(ともき)(18)は紫紺の優勝旗を手に甲子園のグラウンドを1周していた。重い。手のしびれまで幸せだと感じた。
奈良県橿原市立中学の軟式野球部から進学した。上下関係が厳しいとされる高校野球の世界。緊張感があった。エラーすると先輩の目が気になる。本音も言えない。同級生が「正直、やりにくいな」とこぼした。
主将になり、提案した。「勝つには下級生の力が必要。上下関係をなくそう」。送球をこぼすと「しっかり捕れ!」と後輩から怒鳴られた。うれしい。お互い本音をぶつけ合った。選抜で優勝した。
優勝翌日、学校のバックネット裏の部屋。監督の小坂将商(まさあき)(38)から「座れ」と言われていすに腰かけた。「もう1回、再スタートのつもりでやれ」。正直、優勝の余韻があった。重圧で力を出せない選手もいた。「挑戦者としてやっていこう」と言い続けた。
6月5日、近畿地区大会決勝。0―6で履正社(大阪)にねじ伏せられた。誰もしゃべらない。監督から言われた。「負けといてよかった。勝ったままだと重圧がかかる」。ほっと、軽くなる感じがした。翌日は休み。寮でDVDの映画を見た。明日から「普通」に戻って、また頑張ろう。
3日後、練習中に送球が左ほおを直撃。グラウンドに血がしたたった。「これは夏、ヤバいかも」。甲子園では「イケメン捕手」と話題になった。病院の鏡に左半分が腫れた別人の顔が映った。ほおの骨は粉砕。手術も打診されたが夏に間に合わない。「顔なんか変わってもいい。野球がしたい」と医師に訴えた。
仲間から通信アプリLINE(ライン)で「大丈夫か」とメッセージが来た。落ち込むのは「キャラ」じゃない。腫れた顔をウサギの耳つきに加工し、スマホで「大丈夫やで」と返信した。自宅療養中、仲間から「お前がおらなアカン」と連絡が来た。3日で寮に戻った。
練習は見学ばかり。選抜前も指をけがしていたので「ジンクスや」と明るく振る舞った。でも、寮の部屋で1人になると、考えてしまう。夏に間に合うのか。
6月中旬の練習試合はスコアラーを務めた。エース村上頌樹(しょうき)(18)の帽子のつばに「2」と書かれているのに気づいた。自分の背番号。「智基が早く帰ってこれるようにや」。よく見ると選手全員が書いていた。
徐々に練習に復帰し、今月5日、久々にマスクをかぶって頌樹の球を受けた。懐かしい感触。笑顔になった。新しいミットには「主将」と刺繡(ししゅう)した。「これまで支えられてきた。最後は主将としてチームをまとめて恩返しがしたい」
18日が初戦。目線の先には、史上8校目の春夏連覇がある。=敬称略・終わり(西村圭史、菅原雄太)
■甲子園の春夏連覇校
1962年 作新学院(栃木)
66年 中京商(現・中京大中京、愛知)
79年 箕島(和歌山)
87年 PL学園(大阪)
98年 横浜(神奈川)
2010年 興南(沖縄)
12年 大阪桐蔭(大阪)