アルバイト先のそば店の厨房(ちゅうぼう)に立つ大庭佳。働き始めて3年目。今では店にとって欠かせない働き手だ=13日、東京都大田区
練習によく遅刻する。早退も当たり前。定時制に通い、生活苦から脱するためにアルバイトを掛け持ちしているからだ。野球から逃げたこともある。でも、最後の夏は本気になりたかった。1人で再出発した野球部。今、11人で野球ができる幸せをかみしめている。
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2日、東京都内のそばチェーン店厨房(ちゅうぼう)。神奈川県立川崎高校定時制3年の大庭佳(おおばけい)(18)が働いていた。家計を助けるために始めたアルバイト。朝6時からのコンビニ勤務も含めて週20時間。仕事を終えて、午後3時すぎの授業まで、全日制と一緒の野球部の練習に充てられるのは1時間だ。
佳が5歳の時に両親が離婚。中国出身の父と再婚相手に育てられた。実母は7歳のとき亡くなり、顔もはっきり思い出せない。小学5年のとき父が中国留学を勧めてくれた。「帰国子女って格好いいかも」。2歳上の姉と福建省の学校に通った。中国語が操れるようになった。中学2年で帰国した。
小学生の頃にやった草野球の興奮が忘れられず、県川崎の定時制に入って野球部に入部した。その5月、姉から「お父さん、長くないかも」と告げられた。父は重い病に侵されていた。「親孝行もできていないのに」。涙をこらえるのに必死だった。
父は入退院を繰り返し、職を失った。稼いだ月約10万円のうち4万円を父の治療費に充てる。残りで野球用具や学費を工面する。
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1年の夏、横浜スタジアムであった神奈川大会の開幕試合。ベンチから声援を送った。惜敗し、先輩の前で誓った。「このチームは僕が守っていきます」
先輩が去り、1人になって監督と2人で練習した。2年の春に1年生5人が入部。主将になった。野球部以外の生徒にも協力してもらって臨んだ夏は初戦でコールド負け。直後の練習試合も大敗した。無気力になり、グラウンド整備に誰一人出なかった。「全員辞めろ」。監督の怒声が響く。1年生が謝りに行く中、1人動けなかった。
時間をやりくりして練習しても上達しない。チームを守るとの覚悟が消え、練習に行けなくなった。
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ある日、学校でキャッチボールをして遊んでいた。「野球部を辞めると絶対後悔するぞ」。横浜スタジアムでの試合で引退し定時制に通う岸井聖弥(20)から言われた。岸井も経済的余裕のない家庭で育った。4人兄弟の次男。母や兄弟と離れて祖父母の家で暮らす。野球を最後まで続けられたことが救いだ。そんな実感から出た言葉だった。
忙しい毎日の中、悩み考えた。今年4月、久しぶりに練習に行った。部員が増えていた。就任したばかりの古川雅一監督(57)に頭を下げた。「また野球がしたい」。勝手な言葉と分かっていた。振り返ると後輩は笑顔だ。「ごめん」。心でつぶやいて飛び込んだ。
17日、神奈川大会初戦を迎える。バイト先に休みももらった。「もう逃げない。最後の夏、思いっきり楽しみたい」=敬称略(長谷川健)