チームで銅メダルを獲得し、井村雅代ヘッドコーチ(中央)と抱き合って喜ぶ日本の選手たち=西畑志朗撮影
19日、シンクロナイズド・スイミングのチームで銅メダルを獲得した日本は、この種目で2004年アテネ大会の銀メダル以来、12年ぶりに表彰台に返り咲いた。
シンクロのチーム、日本が銅 アテネ以来のメダル
リオオリンピック
写真特集:輝いたマーメイドたち
銅メダル争いは熾烈(しれつ)だった。日本は前半のテクニカルルーティン(TR)で3位につけたが、4位ウクライナとの差は0・3310点。日本はこの日のフリールーティン(FR)でも躍動感あふれる演技を見せて、そのまま逃げ切った。
黄金期を支えた井村雅代ヘッドコーチが2014年に復帰。12年ロンドン五輪でメダルなしに終わった低迷の原因を選手たちの甘えにあると考え、闘争心を表に出さない選手たちを「ゆるキャラ」と呼んで追い込んだ。「毎日が地獄だった」(三井梨紗子)と振り返る猛練習が始まった。
1日10時間は当たり前。練習は水中に限らず、これまで取り組んでこなかった筋力トレーニングで肉体改造が進められた。体力と浮力を維持するため、必要な摂取カロリーと食事量が徹底的に管理された。
代表を辞退する選手が現れ、追加で呼ばれた選手も代表入りを断る過酷な環境。それを乗り越えた8人が、力を出し切った。
デュエットで銅メダルを取った乾友紀子は言っていた。「逃げたくなるときもあった。でも、五輪でメダルを取りたい、という初心を思い出してがんばってきた」。耐え抜いた先に待っていた復活劇だった。(清水寿之)