1965年に再来日し、歓迎を受けるチャスラフスカさん
「東京の恋人」と日本でも愛されたベラ・チャスラフスカさん。親交のあった人々が、その死を悼んだ。
信念貫いた五輪の名花 東京を愛したチャスラフスカさん
1964年東京五輪の女子団体銅メダリストの池田敬子さんは「もう治療できない状態だと聞いていたので、仕方がないと思っている。ベラとは昔からいろんな話をした。事実とは違うことが報道されることもあったけれど、何も言わないとベラと約束した。競技生活が華々しかったのに比べると、幸せな人生ではなかったかもしれない。ソ連の支配下にあった当時、東京の我が家に招いたことがあり、『私もこういう明るい家庭を築きたい』と言っていたのが思い出される」と話した。
同じく銅メダルを獲得した小野清子さんは「亡くなったと聞いて驚いています。美しくて、体操が上手なのに、威張るわけでもなく、心温かくて、友達を大事にする人だった。ただ、国家への反骨心は隠さなかった。普段は口にしないけれど、時折、『家の窓を開けると見張っている人がいるの』というように、自由を奪われていると感じる出来事をさらっと言う人だった」と振り返った。
四半世紀近くチャスラフスカさんを取材したノンフィクション作家の長田渚左さんは「どんなに迫害を受けても、揺るぎない信念を持って生きた憧れの女性です。死ぬことよりも大切なものがあると直感で知っていて、それは日本の武士道にも通じるものがあった。日本人が大好きでしたし、日本人の友人がたくさんいたからこそ自分が存在していたと思ってくれていた。2020年の東京五輪をとても楽しみにしていたので、悔しい」と語った。