津田大毅さん。181センチ、80キロだった現役時代の父と、ほぼ同じ体格になった=東京都内
25年ぶりのリーグ優勝を決めた広島カープ。前回優勝した1991年は、一人の選手のためにチームが一つになって戦った。「炎のストッパー」と呼ばれた津田恒実さんが、マウンドを降りて闘病生活を始めていた。恒実さんは2年後に亡くなり、その長男大毅(だいき)さんはいま、27歳。リーグ制覇に「ようやく父の思い出と向き合えるきっかけをもらえました」と語る。
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82年に新人王、89年には最優秀救援投手として活躍した恒実さんは91年当時、脳腫瘍(しゅよう)を患っていた。同年4月、激しい頭痛に苦しみ、自宅で起き上がることも困難なのにその夜のマウンドに立った。1死も取れずに降板し、入院生活に入った。
深刻な病状に、選手たちは発奮した。当時の守備走塁コーチ木下富雄さん(65)は「津田のために優勝しようと一つになったとき、見えない力が働いた」と振り返る。病室を見舞った監督の山本浩二さん(69)が「わしが優勝旅行に連れて行っちゃる」と誓った通り、7・5ゲーム差をひっくり返して優勝した。
このとき、大毅さんは2歳だった。2年後に恒実さんが32歳で亡くなったこともほとんど記憶にないが、周囲にとっては「津田の長男」。野球を始めた大毅さんに、早世した剛腕投手の物語の続きを期待した。自然な流れで投手になったが「『津田の息子』というのは重荷でしかなかった」。
中学生のころ、何かと言えば父…