杉山千佐子さん=2014年、名古屋市千種区
民間の戦争被災者救済を求める全国戦災傷害者連絡会(全傷連)会長の杉山千佐子(すぎやま・ちさこ)さんが18日午前8時30分、老衰のため名古屋市千種区の高齢者施設で死去した。101歳だった。通夜、葬儀は近親者らで行い、後日、お別れの会を開く。
1945年3月の名古屋空襲で左目や顔の一部を失った。恩給などが復活した軍人・軍属らに比べ、民間戦災者への援護はない現状を憤り、72年、全傷連を結成。国による救済を訴え続けた。旧社会党を中心に「戦時災害援護法案」は国会に14回提出されたが、いずれも廃案に。それでも2010年、東京大空襲、大阪空襲訴訟の両原告団が中心になって結成した全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)顧問になり、立法を働きかけた。
15年秋、体調を崩して施設に入所したが、今年6月のシンポジウムにも出席。100歳を超えてなお、運動のシンボルだった。
10年に空襲被災者への独自の見舞金を始めた名古屋市の河村たかし市長は「よう頑張られた」とねぎらった。衆院議員当時に杉山さんと知り合い、運動が低迷してもあきらめず国会に働きかける姿に、「不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を学んだ」と話した。
昨年再結成され、民間戦災者への見舞金法案を検討している超党派国会議員連盟メンバーの近藤昭一衆院議員(愛知3区)=民進党=は「法案の形でお見せできなかった。申し訳ない」と悔やんだ。
全国空襲連共同代表で、「東京大空襲」の著書がある作家の早乙女勝元さん(84)は「70年代、空襲記録運動を始めた時に出会った。自身の空襲体験を怖いくらいの迫力で語り、行動を迫った。個性が強く反発もあったが、多くの議員や学者も動かした。突破口を開こうとしていた矢先、残念だ」と語った。