女性としてエベレストに初登頂し、帰国した羽田空港で長女の教子ちゃんを抱きかかえる田部井淳子さん=1975年6月8日
《評伝》 登頂があと12日遅かったら、田部井淳子さんのその後の人生は全く違ったものになったはずだ。
登山家の田部井淳子さん死去 女性初のエベレスト登頂
特集:田部井淳子さん死去
1975年5月16日、35歳の田部井さんはシェルパのアン・ツェリンとともに、ネパール側から世界最高峰エベレスト(8848メートル)の頂に立った。この瞬間から「女性で世界初」の肩書が本人の意思とは関係なく独り歩きし始めた。
同じころ、国境をはさんだ中国側から中国隊も登頂を目指していた。この遠征に参加していた女性の潘多隊員が同月27日、同峰の女性第2登を果たした。
当時、中国登山界は秘密のベールに包まれていた。ネパール側から山頂を目指していた田部井さんたちは中国隊の細かい動向を知らなかった。それでも日本隊は中国隊の登山活動を察知し、上部キャンプの田部井さんとの無線連絡で暗号を使ったほどだった。
世界で1番と2番。この差は限りなく大きい。折しもこの年は国際婦人年。女性の自立と解放の象徴的存在として女性初のエベレスト登頂者の田部井さんに、世界の注目が集まった。
山好きの主婦が一夜にして世界…