2004年3月12日、韓国の盧武鉉大統領(当時)に対する弾劾(だんがい)案が国会で可決された。与野党議員がもみあった=東亜日報提供
韓国でかつて一度だけ大統領が弾劾(だんがい)訴追された12年前、ソウル特派員として政治の迷走ぶりを見た。今回が当時と大きく違うのは、世論と国会が弾劾ムードを押し上げ、大統領が巻き返すチャンスがどこにも見当たらないことだ。
朴大統領の弾劾訴追案、可決
2004年3月に当時の盧武鉉(ノムヒョン)大統領が指弾された理由は、公務員として中立が求められるところを無党籍の立場なのに実質与党を支持する発言を繰り返したこと、側近が不正を働いたことなどだった。ただ実情は、最大勢力の野党・ハンナラ党と前任大統領の金大中(キムデジュン)氏支持派が結託し、弾劾訴追案が否決されるとの予想を覆したハプニングだった。
可決後、ハンナラ党の支持率は急に下がり、1週間後には弾劾訴追反対のデモが全国60カ所で、50万人とも言われる人を集めた。1カ月後には4年に一度の総選挙があり、実質与党が3倍増の議席を得て「事実上の大統領信任」とされた。さらに1カ月後、憲法裁判所が「違法行為はあったが、弾劾に相当するほどではない」と判断し、盧氏は職務復帰した。
結局は弾劾決定を免れる結果だったことについて、ある韓国紙政治記者は「軍事独裁や激しい民主化闘争を経験した国として、大統領は任期5年で再選なし、その代わり身分が保障されるという国民的合意があるからだ」とバランス感覚を語っていた。
今回は、発端が政界のごたごたではなく、朴槿恵(パククネ)氏自身の大統領在任中の重大な疑惑であることで、世論が待ったをかける空気はない。総選挙など失地回復の機会も見当たらない。
盧氏の弾劾訴追案が可決された後、人気低下に焦るハンナラ党が急きょ党代表に選んだのが朴氏だった。党幹部が当時、背景に「国民的な人気」と「将来の大統領候補」という点を挙げていたのは歴史の皮肉だ。(編集委員・市川速水)