開業当時と変わらないアーチを描く場内の通路。人やターレが行き交う=21日午前、東京都中央区、樫山晃生撮影
東京・築地(中央区)が暮れのにぎわいを見せている。卸売市場は11月に予定された豊洲(江東区)への移転がストップ、一番忙しい年末年始を、今年もここで、迎えることになった。
特集:築地―時代の台所
施設の老朽化が言われて久しいが、1935(昭和10)年の開場を前に、ピカピカだった姿が、当時の東京市などの記録に残されている。
人口の急増する首都で、水産と青果の安定供給が市場の使命だった。船は隅田川の桟橋から、鉄道は市場内の駅に荷を下ろす。扇形の建物は、長い貨物列車を止める知恵だが、高度成長期に物流の主役はトラックに交代していく。
現在はターレの走る通路は、屋根が後から作られていた。産地から届く魚が競りを経て、数百ある仲卸の店に振り分けられていく通り道だ。築地での「目利き」は、全国の市場での値決めの物差しになり、産地の評判も育てた。
取扱量のピークは1987年で、市場を通さない流通が増えるなか、今月5日、水産仲卸の東京魚市場卸協同組合は、IT企業への事業委託で、料理人向けのネット販売「いなせり」を始めた。仲卸がその朝の魚を出品、画面から注文を受けて配送するサービスで、事業者は「全国からの豊富な魚種がそろうのが強み。将来は海外に展開したい」。移転問題とは別に、モノと人と情報を集めてきた市場の力も、いま試されている。(写真・西畑志朗、樫山晃生 文・長沢美津子)