地下壕(ごう)入り口に設置され、戦時中の経緯に触れた元の説明板。老朽化を理由に新しい板がかぶせられ、一時見られない状態だった=岐阜県瑞浪市
太平洋戦争中に中国人捕虜や朝鮮人労働者らが地下壕(ごう)を掘った岐阜県瑞浪市の戸狩山(通称・化石山)周辺で、市教育委員会が2カ所ある説明板を、戦時中の経緯に触れない内容に更新していたことがわかった。外部から理由を質問された市教委は1カ所では元の内容も見られるようにした。
市教委が占領軍や地元関係者らの文献をまとめた調査概要によると、1944~45年、航空機工場を地下に造るため、中国人捕虜や朝鮮人労働者らが地下壕の掘削工事にあたった。病気やけがで、中国人330人のうち39人が死亡。朝鮮人労働者は800~1千人いたと推計され、死者数は分かっていない。
工場が完成する前に敗戦を迎えたが、戸狩山の下には総延長約8キロの地下壕が残る。化石が見つかることでも知られる。
市教委は20年以上前、地下壕…