アトリエの階段に立つ前田司郎さん。かつては工場だったという=東京都品川区、諫山卓弥撮影
近い、近い、近い。手を伸ばせば触れられそうな距離感で車窓に流れる残像は、まぶしい朝には「行ってらっしゃい」と送る元気な門口、茜(あかね)さす夕べには「おかえりなさい」と迎える温かな窓。都心には珍しい3両編成で五反田と蒲田を結ぶ東急池上線は、区間の多くで民家や商店を縫うように走り、生活列車として愛されてきた。
「各駅停話」一覧
“テツ”の広場
沿線の東京都品川区と大田区は大企業から中小まで、技術自慢で日本を支える工業集積地。劇団「五反田団」主宰で作家の前田司郎さん(39)の実家も、五反田の町工場のひとつだった。「ベルトコンベヤーを作っていて、祖父が初代、父が2代目。学校から帰ると階下の工場からいつも、金属のぶつかり合う音が響いていた」
高校生のとき「大人が暗い場所に集まりばかみたいなことやってる」演劇にひかれ、大学生で劇団を旗揚げ。工場の上の自室で稽古し、「五反田団」と名付けた。「多くの人にとっては事件や事故でたまに聞く程度の地名。色がないから、語呂のよい駅名とリンクして覚えてもらえる期待もあった」
駅周辺の古い建物が次々ビルに変わった時代。時折ガツーンと重い音が響く工事現場を「繭のようだな」と眺めて歩いた。時が満ち、そこから出てくるものは何だろう。想像し、わき上がったのは「気持ち悪さ」。生まれ育った街が変わることへの違和感だった。