かつて暮らしていた住宅の前に立つ森健太朗さん=17日午前、兵庫県西宮市、加藤諒撮影
「負けてたまるか村」。阪神大震災の発生からほどなく、そんな名前の避難所ができた。「村長」に就いたのは生後2週間の男児だ。かつて被災者を勇気づけた男児は22歳になり、混乱の中でも自分に愛情を注いでくれた大人たちへの感謝を胸に刻んでいる。
特集:阪神大震災22年
17日、兵庫県西宮市の震災記念碑公園。犠牲者の名を刻む碑の前で森健太朗さん(22)が手を合わせた。「記憶はないけど、一番関わりのある日なんです」
同市にあった家が震災で壊れ、家族と近くの大社中学校の体育館へ。当時の校長の坂東鉄二さん(76)は「避難者は300人を超え、寒くて水や食べ物は不十分。小競り合いが頻発した」と言う。
言い争う大人たちが、森さんの泣き声で我に返るのを坂東さんが見た。「赤ちゃんのもとならまとまれる」と考え、森さんを「村長」にすると宣言した。「トイレにカイロを落とさないで」「長電話はやめて」。「村長」名のお願いをすると効き目があった。森さんの周りには「第1バーバ」「第2バーバ」と名乗る世話好きな女性らも集まった。
森さんは、「村」があった大社中に進学。冬の体育館に入り、「こんなに寒く、震災で大変だったのに、僕を可愛がってくれたんだ」と実感した。
幼少時に両親が離婚し、兄姉と…