弔辞を読む鳥羽一郎さん(日本コロムビア提供)
5千曲以上の名曲を世に送った作曲家船村徹さんの葬儀が23日、東京都文京区の護国寺・桂昌殿で営まれた。小雨が降る曇り空だったが、多くの参列者が最後の時を惜しんだ。
作曲家の船村徹さん死去 「王将」「矢切の渡し」
弟子代表として弔辞を読んだ鳥羽一郎さん(64)は、約1年前に船村さんが作曲した「悠々と…」の出だしの歌詞「たとえば俺が死んだなら」を読み上げ、「あれは辞世の歌だったんですか。遺言だったんですか」と声を張り上げた。
続けて、「男の生き方を教えてくれた最高のおやじだった。おやじからもらった76曲は俺の宝。(亡くなった)2月16日におやじの魂は、俺の体の中に入り、生涯一緒になった。一緒に歌い続けていく。それでいいってことでしょう」と語りかけた。
ほか、日本レコード協会会長の斉藤正明さんは弔辞で「音楽の形はレコードから、CD、配信と変わっても、先生の心の歌を作るこだわりはまったくぶれなかった」と読み、船村さんの出身地である栃木県の福田富一知事は「ふるさとの日光の山はまもなく雪解けを迎え、その恵みが田畑を潤す。日本一のうんまい物を食べてもらうことはかなわなくなった」と話しかけた。
船村さんは、富士山と江の島と自宅が一望できる神奈川県藤沢市の墓で眠るという。